私の知らない山
記憶にない山行を語る友・・・

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(1)

 それは、ある企業関係の親睦会の談笑から始まった。
 全員が定年むかえた後の親睦会であった。
 二十代の前半、共に良く一緒に山に登った男も出席していた。一歳年下の門田(もんでん)である。
 当然のことの如く、山登りの話となった。色々な山での思い出やエピソードで、会話が盛り上がってゆく。
 そんな中で、ひときわ懐かしそうに、門田が言った。
 
 「加茂さん、大山が良かったですね」
 「うん、大山?」 
 「そう、山陰の大山ですよ。確か初夏のころ、梅雨入り前だったと思いますよ。最高の天気でしたよ」 
 「え!何時?」 私・加茂には全く記憶がない。誰か他の仲間と勘違いしているのだと思った。
 「昭和三十九年、東京オリンピックのあった年ですよ」 驚く加茂には無頓着に、アルコールの入った、赤い顔で、門田は話をつづける。
 「大山寺橋の登山口からガレ場を経て弥山、さすが1700mを超える山は素晴らしいかった。また機会があればご一緒しましょう」
 「ちょっと待って。私は何も憶えてないんだ。他の人と、間違えているんじゃないか?」
 「間違いないですよ。加茂さんといっしょでしたよ。確か写真も残っていると思いますよ」
 「どうも、さっぱり記憶がないなあ」 
 
 加茂はどうしても思い出せない。
 やはり門田の記憶違いであろう。加茂はそう判断して、その場は終わった。
 そんなある日、門田から封書が送られてきた。
 手紙と昭和三十九年の大山登山行での写真が同封されていた。手紙の概要は次ぎのようである。
 
 「旧い写真を捜しました。未整理の箱の下方で、色褪せて眠っていました。小さな写真ですが、間違いなく加茂さんだと思います。お確かめ下さい」

 はてな?加茂はその小さな写真を食い入るように眺めた。
 セピア色がかった白黒写真である。名詞サイズより少し大きな、手札サイズは当時の標準的な印画サイズでもある。
 付近に居た登山者にでも撮ってもらったのであろうか。
 二人の全身が写っている。顔はさらに小さく写っている。
 一人は若い門田である。
 もう一方の男は眼鏡を掛けている。長身の門田に比べてやや背が低い。
 加茂らしく、自分らしい雰囲気を持っている。
 しかし、である。何となく異なる。記憶がないだけでなく、心に合致しないものがある。
 「へんだなあ」 加茂の口から独り言が出る。
 
 昭和三十九年と言えば、東海道新幹線が開業し、アジアで初めてのオリンピックが東京で開催された年である。
 その年の梅雨入り前に、自分が何をしていたか、今から丁度四十年前のことで、記憶はない。さりとて、大山に登った記憶は全くない。
 自分が記憶喪失症だと思ったことも無く、他人からその様に言われたこともない。
 加茂は自分のアリバイを、何らかの記録から捜したくなった。
 
 旧い日記・アルバム・登山手帳などを、仕舞っておいた屋根裏から取り出し、アリバイの手がかりを捜した。
 元より、杜撰でないにしても、きちんとした性格ではない加茂ではあったが、大山登山の記録はなかった。梅雨時に何かをしていたという記録も無かった。
 その前年の四月、4年間に及ぶ寮生活を終えて、6畳一間の下宿生活に入っていた。体調を壊し、原因が解らず、いろんな病院を転々とした。病院では、当時としては最新式の検査を受けた記憶もある。例えば、放射性同位元素(ラジオアイソトープ)照射による脳腫瘍の検査などである。
 他にも、医者に指示されて、山に近い郊外の建物の中で、全身をすっぽりと覆うカプセル内で検査を受けたこともあった。
 結果として体調不良の原因は判明せぬままに終わった。
 それ以後、今日に至るまで、そのときの持病とつきあっている。視神経とつながる頭痛である。
 
 門田から送られてきた写真は、如何見ても自分の様である。細身で、左肩が下がって、やや首を傾げている。
 しかし、何か違和感が消えない。
 白黒写真である。濃いめの登山シャツを着込み、少し淡色のズボンと膝下までの長いソックス、そして皮革の登山靴姿である。
 昭和39年の5月連休には立山にも行っている。
 バスは弥陀ヶ原のほんの入口止まりであった。重いザックとスキー具を担いで、天狗平を越え、地獄谷を横に見て雷鳥沢に達した。
 たしか、三階建ての雷鳥荘の入口は雪ノ下で、三階の窓が出入り口がわりになっていた。
 雪原の雷鳥沢で五日間のテント生活を送った。春山スキーを楽しむかたわら、奥大日岳や立山を縦走した。
 
 すっぽりと雪に覆われた奥大日岳へは地獄谷から室堂乗越を経て到達した。2511m頂下のトラバースでは、重い雪に雪崩の危険性を感じたものである。
 また、立山縦走は、別山乗越から別山・真砂岳・大汝山・雄山・一の越と歩いた。雄山頂上付近の登り道で一人のメンバーが四〜五メートル滑落し、一瞬ひやりとした場面もあった。好天の春山を満喫した時であった。
 
 そのときの、写真をも見た。同じく白黒写真であった。写真好きの仲間による、現像と印画であって、大きめに引き伸ばされている。
 四人のメンバーが雪上でおどけている場面もあった。
 私である加茂は細身のスキーズボンに長いソックスを、ふくらはぎまで、ずらして履いている。全員が驚くほどに若い。
 好天に恵まれ、夜は氷点下、凍りつく寒さであったが、日中は濃いマリンブルーの空のもと、薄着でも汗ばむほどの陽気さであった。
 山岳会の、エンジ色ユニフォーム登山シャツで、それぞれにポーズをとっている。もちろん、写真は白黒であるが。
 こちらの写真には、もちろん十分な気憶がある。
 それに比し、同じ年の6月末ごろと想われる、梅雨入り前の大山登山の気憶はない。

 この二つの写真(立山登山と大山登山)を見比べた。二ヶ月以内に撮ったと想われる写真である。
 そこには、明白な違いがあった。
 違いは服装に有った。
 先ずは登山シャツ。両写真共に濃い無地の長袖で、襟付き前開きのシャツである。
 立山の写真にはエポレット(肩章)が付いている。これは同行のメンバーも同様で、所属山岳会のユニフォームがそうである。大山写真にはこのエポレットが無い。
 ズボンも違う。立山写真は黒色である。加茂の気憶でも、彼のスキーズボンは黒色であった。
 それに比し、大山写真のズボンは、グレイ色に写り、荒い生地に見える。何よりも決定的な違いは、それが膝下までのニッカーズボンであることだった。ストッキングの色の濃さも異なる。
 ここで大山写真から受けていた違和感の意味が少しだけ解ってきた。
 
 大山写真に写っている、自分(?)の服装には、それを保持した気憶が無かったのである。
 しかし、謎は深まるばかりであった。
 
 解決に導く一つの方法があった。
 大山写真の加茂は”自分ではない”とすることであった。
 これが加茂にとって、もっとも自然で妥当な結論であった。謎は残したままである。


(2)

 そんなこともあってか、視神経にも負担がかかり、持病の頭痛の頻度が増し、病院に出向いた。
 久しぶりに、発病初期に診察を受けていた病院に出向いた。ラジオアイソトープ検査を受けた大学付属病院である。
 脳神経外科の若い医者に説明し、診察を受ける。その後、待合室で待つようにと指示される。
 以外に長い待ち時間が経過する。
 およそ一時間、ようやく声がかかった。
 再び医者が指示したのは、あの郊外の建物での再検査であった。
 
 山すその、郊外の建物の名称は”コスモデベロップメント・HU”であった。四十年以前は別の名称であったように思う。建物の形も変わり、規模も大きくなっていた。
 加茂は受付窓口で、医者からの紹介状の封書手渡した。紹介状の内容は不明だが。
 ややあって、一人の老年者が現れた。
 彼は、少しばかり離れた位置で、しばし私を眺めるように立ち止まった。それから歩みより、言った。
 「加茂明永(かもあきなが)さんですね?」
 「そうです」
 「体調はいかがですか?」
 「最近不調気味です。ここで、四十年前に検査を受けたことがありますが、同じ症状です。私の持病になっています」
 「なるほど」 やや間をおいて、老年の医師らしき男は言った。
 「四十年前に、カプセルの中のあなたを検査したのは、私です」
 「はあー、そうでしたか」 確か、まだ若く、気鋭の医師だったような気憶がある。今は八十歳位か、スリムで達者な老人の感がある。
 「今日も、あのときと同様の検査をしていただけるのですか?」 さらに、検査機能は進歩している筈である。
 
 「いいえ、実は・・・」 老人は何故か口ごもった。そして何かを思いつつ。
 「そのまえに、お聞きしますが」 間をおいて老人は言った。
 「あなたの近辺で、何か不審な事や気になることが、起こりませんでしたか?」 ”どんなことですか!”と、返事をしかけてから、加茂は”はっ”と、気がついた。
 「あります!、私にとって、不思議なことがありました。まだ、謎のままですが」
 加茂は老人に、自分の気憶にない、門田との大山登山の話をした。
 老人に、驚きはなく、黙って聞いていた。そして言った。
 「案内しましょう」 と。

 四十年以前と様変わりした施設。廊下の横に幾つもの扉がある。
 一つの扉を開け中へ入る。さらに奥まった扉の中へ案内される。
 かって加茂の入ったカプセルと同様の設備があった。
 「これですね、私を検査する機械は?」 
 「はい。昔あなたが入ったのと同様の装置です。しかし、今日は検査いたしません」
 「はあ」 なぜか?加茂にはよく理解できない。
 「実は、この装置は”立体構造スキャナー”です。極めて高性能でして、物体の内部を含めた、すべてをスキャンします」
 「病院に有るCTスキャナーのようなものですか?」 
 「それとはかなり異なります。あれは生体などの断層写真を撮り、内面を検査する装置です。この装置は、平面スキャナーが画像をスキャンし、保存するように、三次元物体をスキャンし、保存をもするのです」 ・・・・
 「物体をスキャンすると言うことは、動物もスキャン出来得ると言うことですか?」
 「そうです。そういう目的のためにも開発されている装置です」・・・・・・・・
 加茂は、大山登山の謎を解く鍵を見つけた様な気がした。
 「スキャンした”もの”は保存出来るんですか?」 加茂は重ねて確かめる。
 「保存装置もあります」
 「コピー装置は?」 加茂は矢継ぎ早に質問する。
 「あります。しかしながら、全ての装置は、まだ完璧ではありません」・・・・・
 
 「コピーされた生物は、生きているのですね?」 
 「そうです」・・・・・
 「これは凄い装置だ!、しかし倫理的にも、大問題を含んでいる。何よりも四十年も以前から稼動していたことが信じられない!」 加茂はまさに、信じられぬ思いで老人を見た。
 「それが、真実なのです。信じてもらい難いことは他にもありますが、今は申しません」 老人はつづけて、加茂に聞いた。
 「この建物の表札は見ましたか?」
 「うーん、コスモなんとか、でしたね?」
 「コスモデベロップメント・HUです。宇宙開発・人間部門の意味があります。この建物は医療機関ではありません。人類が宇宙に進出する場合を想定して造られた研究機関なのです」
 「人間もコピーするのですね?」 
 「そうです。正確には、物体を遠く離れた場所へ、ファクスのように送ることです。ここでスキャンした物体を離れた場所で寸分違わずコピーする。これが研究開発の目的なのです」
 「それでは、複数の同一物や同一人物が存在することになる!。ますますもって、倫理的に大問題だ!。世論は許さないんじゃないですか!」
 「だから、国際的にも秘密裏に進められているにです」 
 「私にしゃべっても!」 加茂は急に不安になってきた。
 
 「理由をお聞きください」 老人は静かに語る。
 「人類が宇宙を目指すとき、一つの大きな壁に突き当たります。それは、宇宙空間における、物資の輸送と人間の往来の問題です。例えば、月に基地を建設し、そこに人間が住む。さらに生活空間を造り拡げてゆく。すぐれた設備と優秀な人材が、長期にわたって必要不可欠となるのです。ハイテク技術工場から一般的な日常生活用品や食料に至るまで、あらゆる物を生産する場所が、必ず必要になるのです。
 しかし、現状の見通しでは、それは遥かに遠い未来の夢でしかありません。なぜならば、輸送手段が大きな問題として存在するからです」 老人は一息いれる。
 「人や物質を月の世界で合成する手段としてコピーを選んだのですね」 加茂は言葉を挟んだ。
 「そうです。無線電送コピーを選んだのです。優秀な人間をコピーとして再生したい。優秀な部品をコピーとして再生したいためです」
 「コピー機を、再生する場所に造らねばならない。そこには、ファクスのインクに相当するあらゆる元素が準備されねばならない」 加茂は思いつくままに口に出した。
 「そのとおりです」 

 「それ自体気の遠くなるような作業に思える」 加茂は嘆じた。
 「しかし、現実に進展しています」 老人は動じることもない。
 「お見せしましょう」 老人は歩き出した。廊下に出て、さらに戸外に出る。小形のRV車が有り、若い男が運転席に居る。加茂と老人が後部座席に乗る。
 「C−5へ」 老人が男に告げる。男はうなづき、車が発進した。
 舗装された道路を走り、山中を蛇行して山の上部へ進む。
 頂上に数個の円盤状のアンテナを備えた建造物があった。車はそこに停まり、三人は建屋の中に入った。
 山麓の施設と同様に廊下があり、そこここに扉がある。山をくり抜いたのであろうか、外見以上に大規模な施設である。
 一つの扉を開けて中へ入る。さらに、もう一つの扉内に入る。老人が指し示す。
 
 「コピー装置です」 様々な計器や機器に取り巻かれた円形のかなり大きな室内、中央に小形の乗合バス位の大きさの装置がある。内部が透けて見える。装置には幾つものパイプが周囲から繋がっている。
 「このパイプの向こう側には、あらゆる元素が高濃度で準備されています」 と老人は言う。
 「これから、ニワトリをコピーします。すでに、ニワトリのデーターは山麓のスキャナーから送られ、ここに保存されています」 と老人。
 「コピースタート!」 運転してきた若い男が、数箇所をいじる。
 装置が静かに稼動する。透明な気体と煙が装置の中で入り混じる気配。霧が発生し、短いプラズマが連続的に起こる。数分後。
 やがて霧がうすれ、クリアな物体が姿を現した。 赤い鶏冠を有する、白色の雄鶏であった。簡単であっけない結果であった。
 ニワトリは生きていた。
 「取り出して、餌をやってくれたまえ」 若い男がニワトリを取り出し、用意していたケージに入れる。
 「私にやらして下さい」 加茂は大胆に申し入れた。
 餌を与え、手で触れる。生命感にあふれたニワトリであった。
 「これはマジックではないですか?」 
 加茂の問いに、老人はやや困ったような顔をした。
 「マジックは魔法ではありません。必ずタネがあります。このコピーはマジックを超えたマジックといえます」 
 「タネも仕掛けもあるマジック!、私のコピーも、このマジックで造られたのでしょう?!、四十年前!」 覚えず、加茂は興奮して、老人を凝視しながら叫んだ。
 老人はうなづいた。
 「彼は!、私のコピーは!、今どこにいるんです!」 言いようの無い不安と好奇心、加茂はよろめいた。若い男が彼を支えた。
 「あなたのコピーは、ここにはいない」 
 「どこにいるんですか?」 座らされた椅子で、身を乗り出すように加茂が聞いた。
 「ゴビ砂漠の施設で、緑化の研究に従事しています」
 「ゴビ砂漠!緑化の研究?・・・。四十年も経過した・・。彼は・・、私とはずいぶん違っているだろう?・・・」 加茂は次第に絶句して行った。
 「四十年前の私は、もう居ないんだ」 間をおいて加茂は、力なくつぶやいた。
 ”私は何故、ここに来たんだ!彼らは何故、私をここに導いた?” 茫洋として、加茂の思考は自問する。
 
 「若いあなたは、保存装置のメモリーの中にいます。コピーは禁じられていますが」 と、探る如く、老人は言う。
 「もう、どうでもいいです。疲れました」 それは、加茂の正直な気持ちであった。出来る事ならば、彼は横になって眠りたかった。
 「若いあなたを、お見せしましょう。このヘルメットを付けて下さい」 椅子にもたれている加茂の頭部に、若い男が半ば強制的に、コード管の付いたヘルメットを付けた。
 老人が若い男に向ってうなづいた。

(3)

 持病の頭痛の頻度が増し、久しぶりに、昔受診したことのある某大学付属病院で診察を受けた。
 より新しい知識を有した若い医師が、最新の医療器具を用いて検査してくれた。
 診察結果は緊張性の偏頭痛であった。
 ”ゆったりと生活することが、最良の治療法である” と告げられた。これは加茂自身の思いとも合致している。
 人生、ゆったりと生活するのは極めて難しい。

 そんな後、門田との交信も遠のき、大山登山の謎も、心の片隅へと、忘れがちになっていった。

 201X年、時代は平和を取り戻しつつあった。宗教やイデオロギーの違いを超えて、人類は広い分野において協力体制を整えつつあった。
 加茂はすでに七十歳をゆうに越えていたが、相変わらず山登りを続けていた。
 老いてきた妻と共に山腹のロッジに宿泊する日もあった。
 そんな晴れた日の夜は、澄んだ星空も眺めた。
 星空は、加茂達の若い頃とは違っていたが、やはり美しく、彼らの心をとらえる。
 星空が違ってきた主な理由の一つは多すぎる(?)人工衛星の数にある。今ひとつの理由は夜間にライトを点滅しながら飛ぶ飛行機にあった。
 月も星も太古から変わらず、その位置も変わっては見えないのだが。

 しかし人類は宇宙に伸びる。
 身近に、月への想いも変わってくる。
 人類が再び月に立ってから久しい。小規模な月基地が建設されている。
 月基地への中継施設として、巨大な人工衛星も築かれている。
 頻繁に月や人工衛星の情報がニュースで流れる。
 
 その巨大な人工衛星の名称はプテラノと名づけられている。前世紀の飛竜になぞらえた名称であった。
 搭乗する宇宙飛行士達が写真付きでマスコミに流れた。公表された人数は以外に少ない。
 日本人も一人いた。邯鄲壮(かんたん たけし)・三十九歳の転送技師である。地球から月基地への人や物資の転送を受持つ役柄らしいい。他の宇宙飛行士と異なり、出身地・経歴は公表されていない。宇宙開発機構職員となっている。
 マスコミが彼の正体をめぐって動いたが、手がかりを得るに至らない。

 加茂も、同じ日本人として彼の写真に注目した。
 妙に惹かれるものを感じた。
 しかし、それが何であるかは理解できなかった。
 
 ある夏の夜、加茂は自宅の二階にある物干し台を兼ねたベランダの、木製床机(しょうぎ)に寝転び、星空を眺めていた。
 満天の星月夜だった。
 こんな夜は、決まって、彼の脳は活性化するのだ。
 少年の様に、夢が、想いが、遠く宇宙の隅々までひろがってゆく。
 そして宇宙の何かが、地球の、日本の、田舎の町の、小さな家のベランダに寝そべって、空を見上げている自分に、眼をそそいでいる。
 彼の精神も宇宙に飛んで、自らを見ていた。
 
 そんな幸せな充実感にとらわれる。
 
 プテラノは東から西にゆっくりと移動していた。
 プテラノが、寝そべった加茂の、真上を徐々に、通過してゆく。
 寝そべって、赤いプテラノの明かりを眺めていた加茂は、不意に気が遠くなった。
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 邯鄲壮は、コスモデベロップメント・HUにいて、老人と共に、加茂を山頂の建造物 C−5へ案内した男であった。
 彼のプテラノでの役柄は、生体ならびに多様な物資の”電波コピー”および”電送”にあった。所属する室名は”CP−5”である。
 室内部には、コピー対象物に対応するべくあらゆる元素が十分に準備されていた。
 小形で高性能の、スーパーコンピューターが付属したコピー装置や電送装置が、室内の中央位置にある。
 コピー装置は地球などの外部から発した信号ならびに内部メモリーから発した信号を、ここでキャッチし、再生する。
 電送装置は、その装置内に置かれた”もの”の信号の、外部への電送と、メモリーに記憶された”もの”の信号の、外部への電送をおこなう。
 
 同室内における両装置間のテストは、地球でのテストと同様に、正常に推移した。
 邯鄲は自らの嗜好品であるスコッチウイスキーをワンボトル増やした。
 ハムスターも一匹、メモリーから再生した。さらに数種の実験を行い、全てが成功した。
 次は地球からの信号をキャッチし、メモリーに保存する、と共にコピー再生する、ことであった。

 地球からの発信は、コスモデベロップメント・HUからである。
 そこでは、数人の若い技術者が、スキャナーの存在する室内で、発信作業に従事していた。指揮をとっているのは、あの老人である。
 加茂が、この施設を最期に訪れてから、およそ十年が経っていた。
 しかし老人の容貌には、差したる変化はなかった。これは、健康な老人に見られる特徴であって、ある程度の年齢に達すれば、その後の変化は乏しいのであろうか。
 
 彼等は最初に、無機物である食器皿ををプテラノに発信した。これは成功した。
 次に有機物であるパンを送信した。これも成功した。無機物である水分を含んだまま、出来たての温かいふっくらとしたパンが、邯鄲の手元でコピー再生した。次々と、様々な形態の”もの”が発信され、すべてが成功裏に終わった。
 実験は最終段階に進んでいった。
 生体の発信である。
 小形の”生体”からテストされてゆく。草・木・魚・虫・爬虫類・鳥・マウス、すべてが順調に発信され、プテラノで記憶され、コピーされてゆく。
 最期に残された発信、それは人間の”生体”である。

 若い技術者の一人が”スキャナー”のカプセルに横たわった。彼の名は草堤茂内(くさつつみ もない)である。
 スキャンされた彼の個体に関する全データーが、プテラノの”CP−5”に向けて発信された。
 数分の後、草堤の身体は身につけた衣類ごと、CP−5の邯鄲の目前に出現した。この瞬間から、二人の草堤が存在することとなったのである。
 草堤は、同僚であった邯鄲に直接挨拶をした。歴史的な技術成果の瞬間であった。が、世間的には、まだ極秘であった。
 
 コスモデベロップメント・HU(C・HU)での草堤は、スキャナーから出た。
 コピーであるプテラノの草堤茂内は、本体の草堤茂内とは別の履歴を歩むこととなる。
 草堤茂内は、宇宙飛行士兼、月基地用の訓練を経た技術者でもあった。
 二人は個別の人間として生きはじめる。
 やがて三人目の彼が、月基地に生まれるであろう。

 地球と人工衛星間の無線電送コピーは成功した。

 コスモデベロップメント・HUの指揮者である老人には、もう一つの計画があった。
 それは、脳内の記憶を操作すること、であった。
 この目的の主な一つは、若い健康な身体に、豊な経験と豊富な知識を、インプットすることにあった。これが、宇宙開発に大いに有効であると、彼は考えていたのである。
 
 人間には300億個(大脳に200億個、小脳に100億個)もの脳細胞があると言われている。それに比し、コンピューター内のトランジスタの数は1000万個程度しかない。その多様性とひろがり性において、コンピューターは人間の脳の敵ではない。
 コンピューターの脳とはCPUとメモリー(含ハードデスク)であろう。
 コンピューターのメモリーでは追加と消去が可能なのである。
 人間の脳には、まだまだ無限に近いメモリーの残量がある。
 記憶をつかさどる部分は、主に大脳皮質にあると言われる。
 大脳皮質を操作して人間の記憶を、人為的に追加したり消去することは可能だと、老人は思っている。
 老人は、絶対的な科学の信奉者でもあった。
 
 現にコスモデベロップメントH・Uで、これは成功裏に終わった。
 かって、加茂明永の、コスモデベロップメントH・Uにおける記憶を消したのも、その成功例の一つであった。

 記憶を追加する場合、同体質の人間間が最も良い結果が得られた。
 つまり、コピー対してが、最も有効であった。
 C・HU内で成功した例の一つが、草堤茂内である。草堤茂内は経験豊な宇宙飛行士であった加倉均(かくらひとし)、の若体形のコピー体であった。
 
 老人は若い加茂明永の身体に、ゴビ砂漠で経験を積んだ加茂明永の記憶を上乗せしたかった。月基地で有用な人材であることを意図して。
 彼はC・HU内での実験をすることなく、プテラノに向って、その実験を行った。
 成功を確信していたのである。
 C・HUに保存されていた加茂の若い身体に、コピーされた以後のゴビ砂漠経験を持つ加茂の記憶が上書きされた。
 そしてプテラノに向けて発信された。
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 ベランダの床机(しょうぎ)に寝そべり、人工衛星プテラノの移動する星空を眺めていた加茂明永が、なぜか不意に気が遠くなった。
 それはC・HUから、彼自身の変形したコピーの情報が、プテラノのCP−5へ発信された直後であった。
 CP-5では、邯鄲壮と草堤茂内の二人が、送られてきた電波にもとづいた、加茂明永の再生を待っていた。
 
 カプセルの霧の中から、若い加茂が現れた。

 若体形の加茂は、不思議そうに回りを見わたした。
 「ここは何処ですか?」 続いて言った。
 「頭の検査は終わったんですか?」 邯鄲の返事を待っている。
 邯鄲と草堤は顔を見合わせた。しばしの間が流れた。邯鄲が答えた。
 「だいたいは、終わりましたが、今ひとつ検査します。そこへお座り下さい」 上部にヘルメットのある椅子を示した。
 若い加茂は、指示された椅子に座った。
 「あれ!、私の服が変わっている。あなたがたと同じ服ですね。何故かな?知らぬ間に!」 彼は驚き、不思議そうに言った。
 「あなたは、眠っていたのです。我々が検査の必要上、着替えさせていただきました」 邯鄲が説明した。
 若い加茂の頭部に、ヘルメットが装着された。
 スイッチが入れられ、彼の意識が遠のいた。

 「失敗だ!」 草堤が言った。邯鄲がうなづいた。


(4) 

 ベランダに仰向き、天空を眺め、極めて活性化していた、加茂の思いは、彼の身体から遊離して宇宙空間を飛んでいた。
 プテラノがその軌道にしたがって、見上げる彼のま上に来た時、加茂の思いはふっと乱れて、彼の意識は遠のいた。
 彼は、そのまま眠ったように動かない。
 プテラノは移動し、上空を離れてゆく。

 時が流れる。
 ベランダで過ごす時間が長過ぎる。気になる妻が、様子を見にきた。
 「まあ!、寝とっての?」 
 「カゼ、ひくよ」 加茂の肩に手をやって、揺り動かす。
 「どうしたの?、よう寝てること!」 さらに強くゆする。
 加茂は眼を開けた。
 妻を見つめる彼の表情に、奇妙な戸惑いがある。
 「ここは何処だ?」
 「何言ってんの!、寝ぼけて!」 妻がとがめた。”しっかりしなさい!”と、肩においた手に力をこめる。
 彼は起き上がった。
 夢遊病のごとく、歩き出した。
 あっ気にとられる妻をおいて、屋内に入り、寝室に向かい、寝床に横になった。
 「どうしたの?」 妻の不安の声。
 加茂は、わずかに反応するが無言である。
 「心配するな、遅いから眠ってくれ」 かなり経ってから、加茂は妻に言った。
 「気分が悪いの?」 妻が聞く。
 「少しな、でも、心配するな。眠ろう」 

 翌朝になり、妻は眠りから覚めた。夫を見ると、彼は寝不足のようであった。
 加茂はその後数日を、これまで以上に、漠然とすごしたが、食欲もあり、体調が悪いとも思えなかった。
 しかし、無口になったり、独り言を言ったり、落ち着きの無い動作がつづいた。妻は心配であった。

 あのとき、プテラノに向けて、C・HUから発信されたコピー加茂のデータは、自宅のベランダからプテラノを眺め、空間に浮遊していた彼のスピリットと接触した。
 コピー加茂のデータは、”若体形のコピー加茂”に上書きされず、より近い頭脳構造のオリジナル加茂のスピリットに合体した。
 ベランダの加茂の意識が遠のいたのがこの瞬間だった。

 加茂は自分に起こった現象に戸惑い、動揺していた。
 心の安定には時間がかかる。
 二十代過ぎてからの人生が、二重になったのである。
 二十代の”あの日”以後、別々の経歴を持つ二人の加茂が、今一つ身になってここに存在する。
 身体は、オリジナル加茂のままである。コピー加茂の身体に生じた四十年間の履歴は無い。多くの傷跡や皺や病歴は無い。

 今や加茂の記憶は二重である。
 その中には、もちろん、門田と共に登った大山登山の記憶もある。
 ゴビで共に過ごし働いた多くの友人、老若男女が、古い懐かしい場面から、つい近頃の記憶まで尽きる事も無く繋がっていた。
 しかも、ゴビでの彼は、おそらくゴビに今も存在し続けている。
 
 「これは!罪だ!」 加茂明永の二重のスピリットが叫んだ。
 「別離!生き別れ!戻すことの不可能な、悪魔の仕業だ!」 ゴビから来た加茂のスピリットがうめいた。
 
 加茂は若い頃に読んだ一冊のSFを思い浮かべた。
 アルフレッド・ベスタ―の長編「虎よ!虎よ!」である。
 はるかなる空間に、廃棄宇宙船と共に、唯一人見捨てられた男が”テレポーテーション”能力を得とくし、自分を見捨てた人間達に復讐する物語である。
 主人公は、極限の苦しみの中でテレポーテーション(遠隔移動)能力を身に付ける。
 テレポーテーションは本人が移動する。

 しかし、テレコピーは本人あるいは本人の記憶データを置いて、本人を近辺あるいは遠方にコピーするものである。ここに、テレポーテーションとは異なる複雑な人間間の問題が発生する。
 まして、今回のごとく、オリジナル加茂の頭脳に生じた”二重の人生経験記憶”は苦しみを複雑化した。
 
 彼の心に安定はない。


(5) 

 コスモデベロップメント・HU(C・HU)で、老人は、加茂明永が来るのを待っていた。
 老人の予想どうり、加茂はやってきた。二重意識になってから、ほぼ一ヶ月が経過していた。
 
 「あなたのやっている事は、あまりいい事とは思えない」 応接室、椅子に座ったあと、加茂が切り出した。
 「あなたの苦しみは、私が治してあげます」 老人はすぐさま、返事をした。
 「あなたは、からだ(体)だけで無く、脳までコントロールしようとしている。それ自体が罪なことですよ」 加茂が言う。
 「加茂さんの脳に、二重の記憶を生じさせたのは、私の誤りでした。このことは深くお詫びいたします。ゴビ側に関する記憶は消去させていただきます」 老人は冷静な表情のまま語る。
 「人間は古来より、からだ(体)や心をコントロールすることに時間を費やしてきた。身体や脳をコントロールすることが罪ではありません。罪なのは停滞することです」 老人は加茂を見つめながら語る。
 「停滞が罪?、そうは思えません」 加茂は同意しかねた。「進歩が罪である。とも言えますよ!」 とっさの、加茂の意見である。
 「亡びの理論です。停滞は人口過剰を呼ぶ。あるいは病気の蔓延を呼ぶ。資源の枯渇を呼ぶ。数え上げればきりがなく不幸を呼びます」 と老人。
 「科学が欲望を満たし、また欲望を助長しています。争いは欲望のぶつかり合いでしょう?」 加茂。
 「不幸を減らしているのが科学です」 老人。
 加茂は水掛け論だと感じた。両者の意見には、人間のもって生まれた本質が含まれている。
 進歩であれ破滅であれ、人間はその本性にしたがって行動する。欲する好奇心を満たすために行動する。

 「罪なのは、何かの目的や欲望のために、不幸な人をつくることです」 加茂はつづけた。「例えば私のコピーが月にて再生されたとします。彼は広漠たる未開の地で、困難な目的を背負って生きねばならない、苦しみの内に死ぬかもしれない。例えそれが崇高な目的であって、オリジナルの私が同意していたとしても。コピーの彼は私ではない。あなたの考えは間違っている」 加茂は興奮ぎみに、一気に喋りつづけた。
 「まあまあ、落ち着いて下さい」 老人は軽く片手を挙げるしぐさをした。
 「科学者は十分な慎重さに基づいて行動を起こします。我々は誰かを不幸にするのではなくて、人々を幸福にするために活動しているのですよ」 
 「お茶か何か飲みますか?タンポポコーヒーなどいかがですか?鎮静作用があり気持ち落ち着かせますよ」 と、老人。
 加茂はタンポポコーヒーが好きであった。
 
 研究員らしい若い男が、カップを盆にのせて運んできた。
 「砂糖はいかがですか?」
 「二つ」 加茂が応えた。
 老人も飲んだ。
 加茂も飲んだ。マイルドな飲み物である。
 直後に加茂は後悔した。”睡眠薬が入っていたかも知れぬ!”と。不安の面持ちで老人の顔を見た。
 老人はうつろな目で加茂を見ていた。が、すぐにその目を閉じた。つづいて頭を垂れた。全身から力が抜けていた。
 「眠りました」 飲み物を運んできた男が、加茂を見ながら言った。
 「睡眠薬が入っていたのですか?」 
 「はい」 
 「なぜ、こんなことを?」 今度も、突然すぎる、理解し難い現象である。
 「これから説明いたします。すこしお手伝いして下さい」 
 
 寝かされた老人の頭部にヘルメットが被されている。
 ここは立体構造スキャナー設備のある部屋である。かって加茂も訪れている。
 「彼の脳をお見せしましょう」 液晶画面の前で若い男が加茂に説明する。
 液晶画面に一瞬”Win2114”が表示され消えた。加茂のパソコンは”Win2014”である。
 画面には多くのホルダーが表示されている。
 「彼はコンピューターですか?」 連続する驚きが、ひるがえって加茂を冷静にした。
 「そうか、彼の脳にはコンピューターのデータが入力されているのでしょう?」 加茂は看破するように言った。
 「そのとおりです。少し古くなりました。旧いデーターを消去して、最新のものに更新する必要があります。これから、それを行います」 若い男が事も無げに言う。
 加茂は若い男の口調が老人に似ていると思った。彼もコンピューターを入力された人間(?)かもしれない。
 「あなたに関する彼の脳内データーも消しましょう・・・・・・」 
 数分が経過した。
 「もう彼の脳裏にはあなたの記憶がありません。ところで、あなたもご自分の脳を画面で見たくありませんか?」 
 加茂は”とんでもない”と思った。自分一人が見るなら未だしも、他人に見せたくは無い。
 「あなたの目の前で、あなたのコピーのデータを消してあげます。他のあなたのプライバシーデータは開きませんからご安心ください」 加茂の内心を見透かすように若い男が言う。
 二重の複雑な想念に加茂は悩んでいた。コピー側の想念が自らの記憶データ消去に抵抗する。このままでは加茂は発狂しそうであった。
 ”彼等は100年後のコンピューターとコンタクトしている人間だ!”
 加茂は頭を抱えた。顔は苦痛でゆがんでいた。
 「たすけてくれー」 加茂の声がもれた。
 「落ちついて下さい。タンポポコーヒーです」 若い男がポットから注いだ飲み物を加茂に手渡した。
 苦痛から逃れるために、加茂はそれを飲んだ。

(6)

 加茂の治療は成功したらしく、彼は落ち着きを取り戻した。

 2015年春、加茂は75歳になった。
 所属していた企業山岳会のOB会が開催され、加茂も参加した。
 参加者の年齢は60歳以上である。
 門田も参加していた。
 現状や過去の話に花が咲く。
 立ち上がって、加茂も自慢話をする。
 「私は、近郊の山の主な山稜をすべて歩いた。ささやかですが、自分の人生、満足すべきかもしれませんね」
 
 「ささやかではありませんよ!そう思うのは贅沢ですよ」 そう言ったのは門田(もんでん)であった。
 「私なんかは、山登りもままならぬ環境におかれましてね、最近になってやっとゆとりが持てるようになったと思ったらこの歳です。うらやましい!」
 「やあ、すまない」 加茂は門田に謝った。門田の奥さんはアルツハイマー病にかかり、最近他界したばかりであった。
 加茂は門田に同情した。
 「今度、もう一度大山に登らないか?」 加茂は自分自身には記憶に無いが、かって門田が自分と二人で登ったと言う大山登山を提案した。
 「もう一度?私は大山に登ったことなど、過去に一度もありませんがね」 門田が言った。
 「おいおい、君が言い出したことだろう。私と登ったんだろう、大山に」 門田は、ぽかんとして聞いている。
 「君は、君と登ったことを否定した私を納得させるため、登頂した際の写真まで私に送ってきたんだ。君が大山に一度も登らなかったって?それはないよ」
 「でも、私にはまったく記憶がないんです」 彼は大真面目であった。

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 これより一ヶ月ほどまえ、コスモデベロップメント・HUで老人と若い男が話していた。
 「”人の記憶を操作する”ことには無理があります」 若い男が言う。老人がうなづく。
 「我々の時代に到達した人類には、我々が想像したような、我々の協力は無かったのかも知れません」
 「我々は二十二世紀へ戻ろう。可能な限りの痕跡を消して」 

                                〜2004.10.31(完)  台風23号・中越地震後
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