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蝶ヶ山ちょうがせんこれは創作です〕

                                         星座との出会い


節へ  (2) (3)

 (1)

 庫西北部、11月下旬雨上がりの谷筋を、東から西へと進む。左に水の豊富な谷川、右は桧まじりの杉の植林が続く林道である。
背中のザックには軽量の3人用テントと約5食分の食料、簡易コンロ・寝袋など入れ、最近にはない装備がある。
久しぶりの泊りがけ単独山行、熊よけの鈴が、風の音・谷の音とは異質に晴れがましく響く。
還暦を過ぎ、再び山行に没入し、2年が過ぎていった。それらの全ては近辺の山々への日帰り山行であった。
 そんな私に、一つの想いがめざめた。
山上で星空が見たい。
40年前に見た剣沢での光景が、脳裏に焼きついている。
雲ひとつない天空に、手の届くような近さで、星がぎらぎらと輝いていた。それは消えない感動として残った。
これをもう一度味わいたい。
そういう状態に自分をおきたい。
これを田舎の山で試そう。 妻の心配をよそに、ついに決行してしまったのである。
 標識にそって右の山道へと入る。
林道と水量の多い谷川を背に、ジグザグに桧の間を歩き続けること、凡そ20分、やがて自然林に近い雑木が、道の両側を占めてきた。ジグザグ道は尾根道へと変化を遂げる。道はなだらかになる。
 道の両側を取り囲むトンネル状の雑木林のため、まだ昼前であるにも関わらず、ここは暗い。今日は好天である。日差しは薄い方が良い。汗のにじんだ登山帽をとる。いつものようにズボン右後ろのポケットにたたむ。左ポケットのタオルハンカチを取り出す。そして、額をぬぐう。
 その時である。白っぽい蝶が、10mほど前を左から右へ、ヒラヒラと横切った。
 この季節に、蝶に出遭った経験はない。まして既に海抜600mを越す山の稜線上である。
 私の錯覚か。枯れ葉を見誤ったのか。一瞬の出来事だった。
 雑木のトンネルは露出岩の坂に出会い、終りをつげた。
 岩肌の道はカーブしながら続く。視界が開ける。
 山麓の”蝶ケ池”が林の中で輝いている。時刻は13時少し前である。
 昼食の休息をここでとろう。岩肌の上部、南側を眺望する場所である。標高およそ700m、山はかなり深く、道路も人家も見えない。木々に被われたなだらかな山並みが前方に広がっている。杉・桧などの針葉樹の緑と枯れ葉色に変化した多くの広葉樹が、程よいバランスを保ちつつ紅葉が彩りを添える。
 風はない。
 蝶ヶ池には伝説がある。昔の人が、もっと古い昔の事を言い伝えた伝説である。
 この地に、天空いっぱいに光が満ちて、一人の天女が現れた。彼女はいろんな知識を人々に授け、生活を豊かにした。しかし、心の豊かさを授けることは出来なかった。彼女は失望し、激しい炎と化して天空へきえていった。
 その燃え跡が池となって残った。それが蝶ヶ池である。
 蝶ヶ池は蝶の形をしている。
 妻、手造りの弁当を食べる。塩のきいた”にぎりめし”は山の弁当として、これに勝るものは無い。梅干とお茶があれば、ほかはいらない。しかし栄養を考えていろんな物が添えてある。すべてを平らげて満腹する。
 ”ごろり”と仰向けに寝ころぶ。空が青く眩しい。眼を凝らしても何も見えない。こまかい粒子が深遠をつくって煙っている。視界に木の枝が入る。広い自然、人間が心地よく感じるのは、地球の自然であろう。少し眠ろう。 
 白い登山帽を顔面に被せる。
 疲労と満腹が私を眠らせた。
 自宅の寝室で寝ている感覚から、現実の我に帰ったのは硬い岩肌の感触のためである。
 小鳥の声も近く、そして遠く、周辺から聞こえてくる。
 時計を見る。15時半を少し回っている。
 「今日はこの山の上で泊まるのだ」まだ覚めやらぬ感覚の中で思う。そしてお茶を飲む。
 休んだ身体にザックは重い。歩くことによってリズムを取り戻そう。
 潅木の多い雑木と、露出岩の見え隠れする山道、北へ伸びる尾根と合流し、北へ迂回しながら登り続ける。ジグザグに頂上に向かって進む。坂は急である。やや黒ずんだ感じの岩肌は苔のためか。潅木の合い間、そこ此処に見える岩も、同様に黒っぽく、滑らかである。
 北からの尾根を登りきる。
 東西に稜線が伸び、それに沿ってかなり広い平坦な空き地がある。
 頂上は右西方すぐ近く、ピラッミド状に盛り上がっている。
 平坦なこの場所は、南の眺望が良く、昼食をとった位置を、より高く上げた状況で、蝶ヶ池もさらに小さく見える。
 ザックをここに置き、デジカメと缶ジュース一個を持って、頂上に向かう。足どりは軽くなり、一気に上りきる。
 そこは、ほぼ円形、低雑木に囲まれていた。中央が空き地になっていて、テントを張るに十分な空間がある。風を遮るにも都合が良い。本日の箔り場所をここに決める。ザックを取りに戻る。
 標高880m、時刻はちょうど16時、暗くなるまでかなり間がある。
 頂上にテントを張り、食事を済ませ、後片付けも終る。ゆっくりと休憩をする。発泡シートと寝袋と、さっき沸かせたお茶の入った小形の携帯用保温ボトルを持って、下の空き地へ降りる。


 (2)


 西の空だけが、まだ明るさを残している。
 雲は無い。風も少ない。絶好の星空が期待される。
 シートを広げ、寝袋にくるまる。十分に暖かである。
 横になる。このまま眠っても、さしたる問題もなさそうである。上空の星も、やがて輝いてくるだろう。
 私は携帯電話機は持たない。私の山行を知る、ほとんど全ての人が、安全のために持つことを進める。しかし何故か持ちたくない。理由を表現するのは簡単でない。一つの理由は、”昔からそうして来た、古い対応の人間である”と言うことである。トランシーバーも無線機もケイタイも、自然にとけこむのに、なぜか自分にとって不自然なのである。ボースカウトでも探検隊でもない、私は単なる山好きである。
 今頃、妻は娘や孫と過ごしているだろう。
 明日は元気で帰宅しよう。
 あたりは暗さを増し、星は明るさを増してきた。
 星空の感じは、剣沢のごとくにはいかない、空気の層・空気の状態が異なる。子供の頃見上げた、当時田舎であった、ふるさとの夜空に似ている。しかし、屋根や電柱や取り巻く山々の暗いシルエットは無い。おそらくは当時以上の美しさであろう。さわやかな星空である。天の川は、北に迂回しながら東西に流れる。
 天頂には、西から、星座ペガスス・アンドロメダ・ペルセウスと並び、夏の夜空の主役であった白鳥座は西に大きく傾いた。ベガやアルタイルは北天に消えようとしている。替ってオリオンが大きく東に張り出して来た。
 星雲からなる剣を、三ツ星のベルトに吊るし、猟に臨む、美男であったが、神話の中では冴えなかったオリオンも、寒い夜空では、まさに大スターである。
 北斗七星は北極星の北に回り、カシオペヤは南にある。神話は人類の壮大な遺産である。とりわけ星座や星にまつわるものは。
 ”オリオンもカシオペヤもギリシャ神話の人物である。織姫や牽牛は中国の物語。星や星座にまつわる話は世界中に古くから伝わっている。死んだ人が星になって夜空に輝き、残った者を見守ってくれる、これは身近な世界である。私の星はどこらあたりに出きるのか、父の星はどれなのか、できれば家族は近くで光っていたい。”などと、とり止めもなく、漠然と思う。
 あまりに科学的に思考することは、人の心を貧しくする。
 暗闇や光の中には未知の世界がある。これが本来の姿である。豊かなそうぞうは、そこから生まれる。恐怖も夢もそこに有っていい。
 科学的とは、現代までに到達した人間の知識に過ぎない。ちっぽけなものかも知れぬ。想像はこれを超えている。
 さーっと、南天に流れ星。はっとして、次を期待して待つ。そして、流れる。美しい。おそらくは百数十億年以上前に誕生したと考えられる、小さな天体の最後の瞬間である。神秘的な時が流れて行く。夜は深まってゆく。私の当初の目的は十分に達した。
 空き地の回りは低い雑木である。風でゆらぐ枝葉の音に交じって、ときおりガサガサと、動物が動いているような音もする。目を音のする方向に凝らす。星空に慣れた目には暗い闇である。
 地上の闇の中で、星が動いている。じーっと動かぬ星もある。
 動物の瞳である。
 以前にも出会ったことがある。鈴鹿山系、竜ヶ岳の西方、こごろく谷の夜中、這うように足元を見ながら辿る星の無い闇夜、谷を挟んで光る二つの瞳、暗くて正体不明の動物であった。いつまでもこちらを見つめた。
 神秘的な眼光は40年以上経過した今も忘れることは無い。一般道路で仲間を待ち、待ちぼうけのまま、他の仲間の居るテントへ戻る途中の、たった一人の谷川遡行だった。
 今、数匹あるいはそれ以上の、夜行性動物が、この空き地の周りにいる。
 狸か狐であろう、鈍い性格のためか、自分自身は危険を感じない。しかし、
 次の瞬間、頂上のテントの食料が頭に浮かぶ。これを奪われては困る。
 星空のセレモニーは一旦終了しょう。
 手早く寝袋等を腕に抱え、頂上へ向かう。
 その時、急に周囲が明るくなった。そして、無数の星が降ってきた。私にはそう思えたのである。
 星の降る、理解し難い、明るさの中を、夢うつつの如く頂上へ向かい、道を登りきる。テントの周りに、動物は見当たらない。食料には被害がない。近づいた動物が居たとしても、この妙な光に驚いて、逃げたに違いない。まさに不思議な現象が、今起こっている。
 空から降ってきた星状の光は、ついさっきまで、私が星を眺めていた、広場の空間にとどまり、群れている。密集し、あるいは拡がる。また幾つもの群れに分かれる。一つ一つの星は、蝶のごとくに姿を変え、乱舞している。
 私は、この思考を超えた現象に呆然として、ただ見入る。
 神秘は今、存在する。目前で。
 眩すぎない、さまざまな星色に、全体として白く、蝶の舞は上下左右に交差し、つづき、やがて個々は、それぞれの位置へと止まって行く。
 広場に一つの形が出現した。
 それは、星色に輝く巨大な蝶である。
 静かに、物音はしない。
 しかし、静かに羽ばたいている。
 巨大な背上で、なお、少数の蝶が舞い続けている。
 その舞の中から一人の女性が現れた。紺青色の長い髪は肩まで垂れて、肌は薄い褐色である。 
 古代ギリシャ風の衣装をまとっている。美しい若い女性である。
 煌く蝶の舞う中に、文字どうり光り輝いている。
 これは、伝説の天女なのか。蝶ヶ池伝説の天女が帰ってきたのか。羽衣のイメージとは少し異なるが、これは、正しく天女の姿である。
 天女を取り巻く蝶は、その後方に後光の如くひろがる。私は寝袋を小脇に抱えたまま、ただ呆然として立っている。どうすればいいのか、何の判断も浮かばない。
 天女はこちらを見る。青春時代の知己のごとく、表情はやさしい。
 突然、天女を取り巻く蝶が、一斉に私の方に向かう。
 そして、私の前で消えた。
 「彼女はアンドロメダである。アストレイヤではない」 すぐそばで声がする。テレパシーの声である。 しかし、姿は見えない。もはや驚くことも忘れた私である。
 「私はペルセウス、闇の帽子を被っている。あなたには見えない」 ギリシャ神話の世界が出現したようだ。


 (3)

 アストレイヤは正義の女神である。人類が黄金時代であった頃、地上に住んで、正義と真理の守り神として人々のため働いた。しかし人類が堕落してゆくのにあいそをつかし、天に帰った。
 蝶ヶ池伝説の天女はアストレイヤに似ている。
 「アンドロメダはなぜ現れたのか」 今は私にもテレパシーが使える。
 「アストレイヤはおとめ座、春から夏の者。アンドロメダ座は今ある。しかしその他にも理由はある」 神々の使者ヘルメスの、翼のはえたサンダルを履いた、勇者ペルセウスはアンドロメダの夫でもある。
 「彼女はエチオピア人、イオーペの王ケフエウスと王妃カシオペヤの娘、その出身地はパレスチナである」 それ以上は語らない。
 私は言う。「人類は心のガンに侵されつつある。肉体の病気には果敢に戦いを挑むが、”憎しみのガンと欲望のガン”というコントロールを失った、心の病気を野放しにしてきた。生命体に与えられた、保身本能が、人類の多くでガン化している」 
 豊かさと、貪欲につながる欲望は似ていて、全く非なものである。
 続けて言う。「自分たちだけの神を名目にして、戦う人間に、良い未来はない」 
 大神ゼウスとアルゴスの王アクリシオスの娘ダナエ、の間に生まれた、ペルセウスは私の意見を、どのように受け取ったのか、沈黙が続く。
 そして語る。
 「私は女神アテーナに従って、怪物ゴルゴンの一人メズーサや海魔チアマトを退治した。私は正義の勇者である。しかし神のお告げには逆らえず。思わぬ事故で祖父を殺めてしまった」 
 悪を倒すのは正義である。過失は悪では無い。
 「ガン化した人間の中には怪物になる者もある。ガン化しつつある人間を見つけるのは難しい」 
 「私がチアマトをゴルゴンの首により、石に変えて、アンドロメダと国を救った。人々はギリシャの神、ゼウスとアテーナを祀り、その教えに従って、国は繁栄した」
 「しかし私の去った後、また元の神々を祭った。子供を焼いて、火の神に捧げるような事もした。そして終には、他の種族に踏みにじられた」
 「心のガンは太古から存在する。ゴルゴンも人間がガン化した怪物である。」
 「母カシオペヤの自慢の犠牲となって、怪物チアマトに捧げられたアンドロメダは、人間にとって、もっとも美しい心、”優しさ”にあふれた女性である。多くの人々が彼女を支える」
 「あそこで輝く蝶は彼女の星座の無数の星である。彼女はパレスチナを憂えている。蝶も同様である」 
 より身近なものを憂えるのは自然の理である。
 「我々は夜が明ける前に戻らねばならない。我々が伝えたいメッセージは唯一つ、”優しい心の人間になってほしい”と言う事です。そういう人が増えることが、平和を創るのです」
 人はみんな、優しい心を持っている。これを育てるのが、大人の役目である。
 心のガン化を予防するのは、蓄積された、優しい心である。
 「この山に来ていただいてありがとう」 私の思いを、彼が伝えた。
 私の側らから、見えないペルセウスが消えた。
 アンドロメダの横に彼は現われた。
 髭に覆われた顔、そして長身、筋肉質の、常人を超えた男である。
 「あなたを驚かせてすみませんでした」 アンドロメダの声である。
 「夜空に見入るあなたの想いが、私達をここに来させた」
 「さようなら、春になれば、アストレイヤが来るでしょう。星座達はあなたの友達です」
 「さようなら!」
 私は思わず、大声で叫んだ。
 光が、一瞬激しく燦爛する。
 蝶となり、星となり天空に消える。
 数匹の蝶が、私の五体をも貫いて消えた。


 嘘山行記・一部・蝶ケ山、完。

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 嘘山行記・二部・金城山 山上の武者へ