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霧雨(きりさめ)

霧雨の山頂で出遭った女は・・・

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(1)

 笠形山(939m)の山頂にはベンチが多くある。
 屋根が二ヶ所ある。ログ風休憩所と六本の金属棒支柱で支えた六角形板金屋根である。
 
 七月下旬、梅雨が明けきったとは言い切れぬ曇日、午後になってから山に入った。
 笠の丸からはガスの中であった。
 霧雨が熱い体を冷まし、なだらかな尾根筋が体力を回復させる。
 頂上直下の急登が、再び体力をうばう。
 平日である。
 登山者に出会う事も無く、頂上に達した。
 頂上には一人の女がいた。
 女は金属屋根の下に立っていた。中年風である。
 「こんにちは」
 「おつかれさまです」
 「天気が良くなかったですね」
 「ほんと、残念でした」

 私は離れ徘徊する。遠景は見えず、白い靄が流れ煙る。
 振り返れば、女はもういない。
 「素早いな」 これが、最初の印象であった。


 霧雨のベンチに休みながら、見えない遠景を見る。
 さらに遠い遠景が、思いの中をよぎる。
 約四十年前の秋、自分は、ある会社の山岳会に入会していた。
 入会して初めての山行であった。
 山岳会は会行事として、H川遡行を行った。9月23日、秋分の日の連休を利用した、1泊2日の幕営山行であった。
 男女合わせて約10人が参加した。女子は少なく、3〜4名であったと記憶する。
 H川は鈴鹿山系につながる川である。
 
 この遡行で、一人の山学会員が行方不明になった。
 折からの降雨による増水に巻き込まれたのである。
 
 H川遡行、小雨の中、最初は川幅も広く、草鞋履き、川原伝いの遡行であった。
 が、次第に川幅は狭まり、山あいの谷底へと変化しつつあった。
 右岸、左岸と移動しながら上流へ進んで行く。両岸にはところどころ岩壁も現われ、滝も落ちこむ。
 登山者は一列になって進む。
 
 悲劇はこの頃に起こった。
 予想を越えた増水が始まったのだ。
 両岸には岩壁が増え、ジグザグに飛び石伝い渡渉する遡行は、増水と急流で短時間で不可能になった。
 先頭者が悠然と渡れた場所を、最後尾者が渡る頃にはロープで繋がなければならぬ状況となったのである。
 最早、川を前進することが出来ないのだ。狭い川棚にひと塊りとなったが、一人足りない。
 先頭を行くサブリーダーがすでに、岩壁の向こうへ回り進んでいた。声をかけても、水音に消されて通じない。もちろん姿も見えない。
 水量は増え、そこへの道も今は通れない。
 同様に、戻り道ももはや激流で閉ざされている。

 このままでは、遠からず全員が激流に呑まれるだろう。
 逃れる道は唯一つ、谷壁を登り、なだらかな山林へ進入することである。
 一人の男がそれに挑み、上部の木ににザイル(当時ロープをザイルと呼んでいた)を結びつけた。
 不安定な足場を、助け合ってようやく谷から離れた、間もなく、さっきまでいた川棚は激流の下に消えていった。
 
 雨はさらに強まる。
 斜面にテントを張る。
 一方においてサブリーダーの探索に向かう。が、彼に会うことは無かった。
 翌日は雨も上がり、次第に快晴となって行った。しかし彼は何処にも居なかった。激流に呑まれて流されてしまったのだろうと、判断した。
 彼は今日まで消息不明のままである。
 彼の名は遠坂春樹、私より一歳年長の好漢であった。
 道を選んで、先導していたのである。

 あの日の情景も、小雨と霧の景色として残っている。


(2)

 笠形山登山から一年が経過した。
 今、西光寺山(713m)の頂上に近づきつつある。雲の中、霧雨に濡れて。
 奇妙な一つの期待を抱きながら。

 昨年秋、同じく雲中の千ヶ峰(1005m)を訪れた。またに山(928m)からの縦走であった。
 白い霧雨の中に、千ヶ峰頂上のモニュメントが鋭く空を指して浮かび上がっていた。
 モニュウメントの台座に人影があった。
 女性である。
 深く登山帽を被っている。
 霧の中を見つめるように、台石に腰をかけ足を組んだ、横向きの姿が黒く浮かんで、坂を登る私の前方にあった。
 他に人影は見えない。
 「こんにちは」
 「おつかれさまです」
 「天気が良くなかったですね」
 「ほんと、残念でした」
 私はザックのダッシュポケットから、ペットボトルを取り出しお茶を飲む。
 何か気になる。
 彼女は私の来た方向へ下る。
 私は西南の986m峰に向かう。そして、はっと気づいた。振り向くが、彼女はもう見えない。
 彼女の声である。それは、笠形山頂上に居た女性の声にそっくりだったのだ。
 帽子こそ被っていたが、雰囲気も、六角形の屋根の下に立っていた中年らしい女のものであった。

 西光寺山の頂上には、小さなお祠が一つある。西光寺神社を祀ったものである。
 祠のかたわら ”白い霧雨の中、彼女は居る” そんな期待が、頂上に近づくにつれてふくれ上がる。
 私は彼女に誘引されるように杉・桧の山道を登りつめた。


 女は居た。
 私を迎えるように挨拶した。
 「おつかれさまです」
 「こんにちは」
 「天気が良くなかったですね」
 「いいえ、この天気を選んできました」
 女は笑った。つられて私も笑う。
 霧雨が静かに舞う。白い霧を背景に頂上の祠が浮かびあがる。黒く、ウバメガシの群生が南西尾根へ連なっている。遠景は見えない。
 「また会いましたね」
 「また会いました」
 「三度目ですね」
 女は答えず私を見ている。
 女の顔は私の言葉を否定して、待っている、私の記憶を。
 「誰でしたっけ!」
 「Kさん!私、サイゾウ・・」 本名を呼ばれる。彼女は明らかに私を知っている。
 「かすみさんか!」 ようやく想い出す。
 「そうです。名張出身の柘植かすみですよ」 名前がかすみ(霞)であり、伊賀の名張市生まれと言うことで、仲間からサイゾウ(霧隠才蔵)と呼ばれていた女性である。
 「やあ!これはめずらしい。久しぶりだ、それにしても驚いた」
 「四十年も会っていませんからね、無理もないです」
 「しかし、こうして話し出すと、あまり変わっていませんね。昔そのままの感じです」
 「いいえ、ずいぶんとお婆ちゃんに成りましたよ」
 「光陰は矢の如し、と言いますからね」
 「私は、昔も今も霧の中の女ですよ」 
 私は笑う。
 彼女も笑うが、心なしか寂しげでもある。


 「あなたは、なぜいつも霧の山の頂きにいるんですか?」
 彼女はそれには答えないで言った。
 「Kさん、クイズを出しましょう」
 「うん?」
 「”かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やある 夜明けの晩に つるとかめと 滑うべった うしろの正面だあれ”と言う、わらべうた(童唄・童歌)をご存知ですか?」
 「知っています」
 「この歌に隠された謎があります。その謎を解いてください」
 「へえー」 私はただ漫然としたさまのままで、応えようがない。あまりの突然な、提案である。
 「ヒントは”かねやま”です。私は霧隠才蔵・・」
 「私に解けますか?」
 「解いてください、そうすれば私の謎もあかしましょう。次に出会うのは、あなたが、この歌の謎を解いてからですよね」 
 ちょっとはにかんで言った。
 それから、急に 「お先に」 と声をかけたあと、山を下っていった。
 「変な女だな」 思わず言葉が口に出る。
 奇妙な女性である。 


(3)

 「才蔵か?」 あれ以来、頭から離れない。
 柘植かすみという女性と、彼女の言った言葉を、真剣に考えざるを得なくなった。
 
 文献によれば、このわらべ歌は、少なくとも江戸時代後期に歌われていたらしい。子供の遊戯として。
 
 遊戯の内容は次ぎのとおりである。
 @数人必要である。A鬼を一人決める。B鬼はしゃがんで目を閉じ手で顔を被う。C残りのものは鬼を中心に手をつなぎ輪になる。Dかごめかごめの、わらべ歌をうたいながら鬼の周りを廻る。E歌の最後の言葉、うしろの正面だあれ、を歌い終わると同時に全員しゃがむ。F鬼は自分の真後ろの人の名前を当てる。G当たれば、当てられた人が代わって鬼となる。Hこれをくりかえす。
 鬼が籠と籠の中の鳥の役(やく)である

 この場合のかごめとは、ニワトリを入れるドーム状の竹製の編み籠の網目である。
 したがって籠の中の鳥とはニワトリのことである。
 いついつ出やある
  いつになれば出てくるのか、の意。
 夜明けの晩とは何か?
  夜明けとは早朝、日の出の頃をさす。
  晩とは夕方、日暮れ、夜のことである。
 つまり日の出であり、日暮れでもある。矛盾する語句である。
 つるとかめと 滑うべったとは?
  鶴も亀も長寿の象徴となる、めでたい動物である。水辺に生息する。
 長寿のめでたい動物が滑ったとは、如何なる意味があるのか?
 うしろの正面だあれとは?
  うしろは、後ろであって、正面ではない。
 単なる言葉あそびか、あるいは深い意味があるのか?

 このままでは言葉の遊びであり、遊戯の域を出ない。何かに関わるヒントが必要である。
 柘植かすみはヒントを”かねやま”と言った。自らを”霧隠才蔵”と称した。
 私にとって、すぐ念頭に浮かぶ”かねやま”は、柏原町と篠山市の境界にある、鐘が坂峠上の金山(540m)である。
 金山の頂上には、戦国時代の武将、明智光秀の築いた山城跡がある。光秀は戦国時代という点で霧隠才蔵とは符合する。
 サイゾウはこの謎を知っている人物である。
 私は、この光秀をヒント”かねやま”のキーワードとして考えてみた。すると、おぼろげながら、何かが見えてきたのである。


 私は専門学者ではないので、庶民的な判断をしてゆきます。これは、江戸の庶民のわらべ歌を考察する点で、ある意味妥当と思われます。
 
 順を追って(前後しながらも)、謎を探索してゆきます。
 
 籠の中の鳥は、雄鶏であり、”明智日向守光秀”のことである。雄鶏は、夜けに朝かって「コケコッコー」と鳴く。
 は、”竹千代であり、徳川三代の家康・秀忠・家光を表す”三人とも幼名を竹千代と称した。
 いついつ出やあるは、”いつになったら、姿を現すのか”である。
 夜明けの晩にとは、”本能寺の変およびその後”のことである。本能寺の変は暁に始まり、信長にとっては死に至る闇の到来であった。
 つるとかめと 滑うべったとは、”明智光秀が頭を剃って坊主(僧侶)になった”と言うことである。光秀が長寿であったの意を含む。
  徳川(家康)に沿って、亀山城主光秀は僧となって武名を消した。小栗栖で討たれたのは、光秀の影武者である。
 うしろの正面だあれとは、後ろの正面と言うものは存在しない。
  世間一般的には、存在しないはずの存在、のことである。この場合は、籠の中に居る明智光秀、の変身した、”慈眼大師天海(じげんたいしてんかい)”のことである。天海は、徳川三代の背後に居た、謎の人物である。生前は南光坊天海と呼ばれた。

 後は、詳しく説明する必要がないかも知れないが。一応の説明をします。
 
 光秀と家康は、信長の独裁的強権に叛意をもっていた。二人は本意をおもてにに出さないタイプであった。
 その二人が組んだ。これは、奥深く、綿密で対等な提携であった。
 しかし、秀吉の予想を超えた行動力に会い、当初の策を変更せざるを得なくなった。
 光秀は、死ぬことによって、秀吉の追及から逃れて、家康の保護下に入った。伏見の小栗栖で土民に刺殺されたのは、光秀の影武者と考える。
 
 しかし、この事実を知っている者は居た。家康以外にも複数の人物が居たであろう。
 それらの人物からの伝承が有ったか、あるいは黙しておれない何れかの人物が、わらべ歌として、これを残したのであろう。
 
 家康が、天海の意を如何に重用したか、また天海が如何に家康や徳川家に意を配ったか等は、別のHP・文献・その他を参照していただきたい。
 この推論は専門的見地から見れば、当然、異論も多いでしょう。
 私自身も、光秀生誕(1526年または1528年)、天海没(1643年)の間隔が永いこと、に疑問をもっている。117歳か115歳になる。
 飽くまで、庶民的・大衆的解釈である。


(4)

 サイゾウこと柘植かすみに会わねばならぬ。
 彼女は霧の山の頂上で待っているはずである。
 私は彼女と会う山頂を、中町妙見山に想定した。9月である。
 
 会う前に、彼女のことが知りたくなった。
 四十年前に所属していた山岳会員で、今でも音信のあるTという男がいる。
 早く転勤し退職し、山岳会を離れた私と異なり、彼は定年まで、その会社に勤めた。柘植かすみについて、もっと詳しく知っているかも知れないのだ。
 eメールで、これまでの彼女との出会いの経移を記し、彼女について問いあわせた。
 やがて、彼からの返事の無いままに、妙見山頂に雲のかかる日が到来した。

 私は牧野大池からの登山コースを選び、登頂した。しかしサイゾウは居なかった。待っていても来なかった。
 私の解いた、わらべ歌の謎は、正解でなかったのか。
 登るべき山を間違えたのか。どの山を登れば良いのだろうか。
 落胆の思いを抱きつつ下山した。
 
 その日、Tからメールが入った。
 内容は次ぎのようなものであった。

 「柘植かすみは、君が転勤して間もなく退社した。つまり、四十年ぐらい前には、退社していた。
 身寄りが無く、退社後、しばらくは北アルプスの山小屋で働いていた。
 その後、故郷の名張市に帰り、地元のスーパーマーケットなどでアルバイトをしながら、山登りもしていた。
 しかし、ある日突然、居なくなってしまったらしく、部屋を貸していた知人は困ったらしい。
 役所や警察には、行方不明者として届を出したが、消息不明のままである。
 今度彼女に逢ったら、知人みんなが心配していると伝えてほしい。住所を聞いてくれ。」 とある。

 かなり以前のことで、Tも情報を得るのに時間がかかったようである。
 
 かすみに逢わねばならぬ理由が増えた。さらに、霧の山に登頂せねばならぬ。
 笠形山(939.4m)は八千代町を代表する山、千ヶ峰(1005.5m)は加美町を代表する山、西光寺山(712・9m)は西脇市を代表する山である。いずれも西脇市発足以前の、旧多可郡内の地域である。
 そういう意味で、今回は中町を代表する山、中町妙見山(692.6m)に登ったのであったが。
 もう一つの旧多可郡地域がある。黒田庄町である。
 この地域は近年、オートキャンプ場としての”日時計の丘公園”で全国的に有名になっている。
 この黒田庄町を代表する山は、黒田庄町妙見山(622.0m)と白山(549m)である。二つの山は近くで連なっている。。

 天気予報で午後からは雨という9月中旬、門柳地区から直登した。妙見堂を経て、時雨で煙る、開けた尾根頂へ出て、そこから南にある山頂に向かった。
 サイゾウはいるだろうか?雑木林の中の盛り上がった山土の頂部に埋められた頂上標識と三角点、サイゾウが現われてもおかしくない場所である。
 
 山頂の盛り土の前に人はいた。男性が一人、周囲を見回しても他には誰もいない。
 男は昔風の黄色のポンチョを被り、時雨をよけている。私同様にこの天候を承知で昇って来たらしい。
 ”サイゾウはいないな!”と思いながら挨拶をする。
 「こんにちは、おひとりですか?」
 「ひとりです。お宅もですか?」
 「そうなんですよ」 
 「天気がわるいのに」 アハハーと二人とも軽く笑う。登山好きらしい服装の同年輩である。
 「これから、どちらへ」 と聞かれる。「白山へ」と答える。白山までは下り道主体の、30〜40分の行程である。
 「私は白山経由でここへ来ました」 彼は私とは逆の行程であった。彼と別れる。白山に期待をつなぐ。

 白山直下で頂上への分岐道がある。そこから山頂までは急登である。
 妙見山と異なり、山頂は岩である。南に向かう片屋根のごとき岩斜面が、山としての威厳を演出している。
 晴天ならば、高く突き出た頂上からの景色はいい。しかし今は、もやのなかである。
 ここにもサイゾウこと柘植かすみはいなかった。
 休憩しようといて、岩肌に目をやる。
 なにやら白いものが、とうめいビニール袋の中にある。
 ビニール袋には、こぶし大の石が”重し”として乗せられていた。


 白いものは、柘植かすみからの手紙であった。
 読んでみる。
 「難題を出してすみません。
 理由あって会えなくなりました。
 あなたの解いた謎は合ってます。
 私はある場所で霧隠才蔵に出遭った。そして、あのわらべ歌”かごめかごめ”に隠された謎を聞いたのです。
 この手紙を、遠坂さんに託します。
 現役で山登りをしているKさんに会えて大変に嬉しかったです。それで、つい悪戯がしたくなりました、ごめんなさいね。
 追記 
 霧隠才蔵さんの話では、明智光秀殿は若々しく、とても五十歳後半の年齢には見えなかったそうです。四十歳位に見えたそうです。私も本能寺の変のような、大それたことを起こす人物が、あんな時代に五十五〜五十七歳に達していたとは信じられません。 
 さようなら」

 以上であった。

 短い手紙であった。しかし多くの内容を提示し、示唆していた。
 予期していたが、彼女は普通の存在ではなかった。戦国の忍者、霧隠才蔵(本名:霧隠鹿右衛門)に遭える存在である。
 妙見山で出遭った男は、鈴鹿H川遡行で行方不明になった、サブリーダーの遠坂春樹らしい。
 私は、さっき出会ったばかりの顔と、遠い記憶の若々しい春樹の表情を想いだした。そして「似ているな」と思った。
 二人は互いに連絡を取り合えるらしい。私の考えや行動が読めている。
 
 西光寺山頂の「わらべ歌の謎を解けば、私の謎もあかしましょう」と言った言葉の答えとしては、私には不十分である。
 二人はいったい何処にいるのか。
 なぜ霧の山でしか出会えないのか、なぜ霧隠才蔵に遭えたのか、謎は形を変えて膨らんできた。
 
 Tに連絡しなければならないが、有りのままでは、簡単に信じてもらえそうにない。
 現実的な面をとらえて、メールを送った。
 概要は
 「柘植かすみには出会えなかったが、遠坂春樹らしき男に会った。だが二人とも霧の中の出会いであって、実体がはっきりしなかった。二人の過去の関係はどうだったのか、柘植かすみも鈴鹿で行方不明になったのではないのか。一度、H川遡行をやってみたい。遠坂さんの行方不明になった付近を調べてみたい」 である。あまり現実的とはいえないようだ。
 数日後Tから、Reメールがあった。
 「二人は恋人同士であったらしい。かすみは鈴鹿山系に登ることが多かった。遠坂の痕跡をさがしていて、鈴鹿山系で行方不明になった可能性が高い。地元の山岳関係者に話したところ、遠坂春樹が行方不明になった付近を、近じか捜索することとなった。その後また連絡します」 とのことであった。
 山好きの人は各地にいる。
 山登りには目的が有ったほうが好い。
 ありがたいことである。


(5)

 10月のはじめ、Tから連絡が入った。
 「捜索隊が、鞍馬滝の中腹で外部から見難い岩穴を見つけた。それは、入口の狭い縦穴であった。縦穴の底に、二人分と想われる人骨を発見した。穴は深く、一人では脱出不可能な構造であったらしい。現在DNA等、鑑定中であるが、二人は男と女らしい。しかし、遠坂春樹も今は身寄りが見当たらず、柘植かすみ共々鑑定の対象が無い。遺留品も見当たらない。また連絡する」 であった。
 
 鞍馬滝は、遠坂春樹が不明になった場所である。
 鞍馬滝は岩庇(ひさし)から落ちる滝である。H川にそそぐ支流鞍馬川の最後部の流れでもある。
 その滝の背後付近の岩壁に、その縦穴があったらしい。
 四十年前の秋、予期せぬ増水に遭遇し、必死で滝裏の岩壁に挑んだ男の姿が目に浮かんだ。
 人骨が遠坂のものである可能性は十分ある。
 また、遠坂を捜し、同じ穴に落ち込んだのが、柘植かすみで無いとは、誰も言えない。

 ほどなく、Tから電話が入った。
 「捜索に参加したメンバーの中で、永源寺町に住んでいるNさんがいる。その人が、あなたに会って話したいらしい。一度、Nさんの家へ出向きませんか」 であった。
 私はこれに同意した。永源寺町は滋賀県神崎郡の町である。H川鞍馬滝に近い地域でもある。
 Tとは草津駅で会い、彼の乗用車で永源寺町を訪問することになった。
 当日、Tは謝りながら言った。
 「実は急用が出来ました。Nさん宅はあなたお一人で訪問して下さい」
 「え!」
 「この車で送ります。申し訳ない!」
 彼の住居の隣人が急死したらしく、葬儀のために、ながくは離れ難いらしい。
 「ああ、いいですよ」 これは仕方がないことであった。
 好天である。
 永源寺町の中心部を過ぎ、紅葉尾(ゆずりお)方面に向かう。
 「確か、ここです」 山麓、Tが止めたのはログ風の家であった。
 表札を見て 「間違いない、電話をしておいたので居るはずです。後はよろしく」 彼は大急ぎ、帰っていった。草津市へは遠いのである。
 
 その横には草むした谷川、清流がさざめく。山小屋ような雰囲気の住家である。
 「こんにちは!」 木の扉をノックする。
 内部で足音がし、扉が開いた。
 「ようこそ! いらっしゃいました」
 出てきた男は、黒田庄妙見山頂で出会った男であった。
 「あなたは、遠坂春樹さん!」
 「そうです」 男の背後から女の声がした。そして男の横へ並んだ。
 笑顔の柘植かすみであった。
 彼女は言った。
 「お陰さまで、霧の世界から出られました。Kさんのお陰です。どうもありがとう」
 遠坂も、笑顔である。

 建物内部に通され、コーヒーを勧められる。私の疑問に答えるように、二人は語りだした。
 「私達は時期が異なりますが、同様に増水のH川で逃げ場を求めていて、霧のポケットに落ち込んでいたのです。そこは霧の世界でした。どこまで行っても霧の中、霧からは出られない世界でした」
 「今は晴れていますね」 と私。
 「あなたや、Tさんや、地元山岳関係者の方々のお陰です。
 我々二人は霧の世界から出たいと思い、チャンスを捜していたのです。そして霧の笠形山に登る旧知のあなたを見つけ、最初の出会いをつくりました。さらに印象づける行動を繰り返したのです」
 「霧隠才蔵に会われたそうですが、霧のポケットとは何なんですか」 疑問をぶつける。
 「私達にもよくは解りません。この世界とは違う次元の世界があったと仮定して、その境界を見え隠れしながら行き来する、三次元以上のインターフェイス的存在であるとしか考えられません。そこで、ある日突然に出会った人物が霧隠才蔵だったのです」
 「なぜ霧隠才蔵だったのですか」
 「たぶん私が、サイゾウこと柘植かすみを強く想いえがいていたからでしょうね。本物の才蔵さんには迷惑をかけました」 と遠坂。
 「私も、心の中で忍者の才蔵さんに”遠坂さんを捜してほしい”と願いましたよ」 笑いながら、かすみも言った。
 「そうでしたか、霧のポケットとは、この世の空間や時間を超えた存在なのですね。いろんなことに遭遇されたでしょうね」 と私。
 「そうです。でもすべて霧の中でした。
 今は晴れて、霧の世界から出られています。うれしくて、これからどうすれば良いのか迷うくらいです」


 我々は、旧交もあたためた。
 その日は、比較的短時間で別れた。
 近いうちに、Tと共に再訪する心づもりであった。
 
 そして後日、Tと共に訪れた。
 Tには、有りのままを話した。
 彼は半信半疑で聞いていたが、無理も無い。
 
 同じ、Nさんの表札がかかり、横を草生した谷川の清流がきらめいている。
 「こんにちは」 木の扉をノックする。内部で足音がし、扉が開かれる。
 出て来たのは、40歳ぐらいの男性である。
 「ようこそ、いらっしゃい」 と彼は言った。
 「遠坂春樹さんは居られますか」
 「そんな方はいません」
 「柘植かすみさんは」
 「いません。私はNです。その方たちは、この間、H川鞍馬滝付近で捜索した人達でしょう。私の家にいる理由がないでしょう」 と怪訝そうに言った。
 その日、Nさんは捜索の状況などを話してくれた。
 私はただ聞いて、礼をいって別れた。柘植や遠坂との出会いを話せる心境ではなかった。
 Tも同様であろう。

 遠坂と柘植、二人は霧のポケットから出た。
 そして、私に説明をした後、消えた。
 今は何処にいるのかわからない。しかし、いつか何処かで遭えるような気がする。
 今度は霧の山の頂きで無くとも。
 遠い友たちよ!

                      嘘山行記五部 「霧雨」 (完)
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