星を塗る男(VS.かぐや姫をさがす男
夢を求める二人の男が出会った

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表の章 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
裏の章 (イ) (ロ) (ハ) (ニ) (ホ) (へ)
終章   (*) (2*) 


序章

 ある年の、八月のある日、 私の家へ四歳七ヶ月になる孫娘がやってきた。その年から幼稚園に通いだしたのだが、急に色んな知識を身につけだした。宇宙への知識もその一つである。幼稚園から天文台へ見学に行き、以来、えらく、星、とりわけ土星に興味を持ちだした。
 宇宙や星には私も興味がある。二人の話が合って、最新の図鑑を買った。
 話の中で、木星に色を塗る、と言う話になった。
 
 私は、急に、これだ!と思った。壮大な宇宙のキャンバスに、星に、色を塗る。実に突拍子もない、夢のある話である。
 「木星に!色を塗ろうか!」 
 孫娘は首をふった。
 「おじいちゃん、そんなん違うよ。画いて、色を塗るの!」 
 「そうか」 私は少しがっかりした。四歳の孫娘のほうが現実的であったのである。
 だが、SFとしては夢があり、楽しい。
 
 どう展開するのか?作者にも分からない物語が始まる。


 ゴッホは画布に、青い夜空とギラギラと輝く、黄金色の月と星を描いた。天の川が白い渦を巻き、黒い陰の糸杉と、月光に浮かぶ白い教会の搭を描いた(星月夜)。こんな図柄が空間そのものに画ける、なんてことは不可能である。出来るはずがないのだ。
 果たして、本当にそうなのか?
 
 人の既成の概念は、常に破られてきたのである。
 
 私は科学的に可能性をさぐった。
 たとえば、月食や日食は、月や太陽を黒くする。地球や月の影がそうするのである。影が黒闇でなく、色を選べるならば、彩色も可能なのである。
 影は光がとおりにくい部分である。ひかりは波長の短い順に、紫外線・紫・藍・青・緑・黄・橙・赤・赤外線と分かれる。
 つまり、影の部分へこれらの可視光線を屈折照射すれば、色付きの月食や日食を表現可能なのである。
 また、ネオンのようなガスを空間にまき、放電させれば、夜空の彩色も可能であろう。
 これらは、遠い将来、実現するかもしれぬ。
 ただ、現状こんなことを実行する馬鹿はない。科学は原則、積み上げが常識である。

 常識は面白くない。
 面白いのは、常識を超えて、かつ、人心にアピール可能なものである。
 それは奇想天外、以外にない。
 
 超次元や超人、あるいは超科学や超能力で、物語として創造することは可能であろう。
 そうなると、アイデアや物語の展開が問われる。構成力や筆力(?)や粘り強い持続力も必要になるかも知れぬ。
 
 私には、計画性が欠ける。
 まず、一歩を踏み出す。展開は流れに沿って進める。
 成功するか否かは結果論である。そして、単なる評価にすぎない。
 先行き不明なものを公開するのは、持続させるための手段でもある。
 期待にそはない可能性は、十分にありうる。


 これといったアイデアも浮かばぬままに、近辺の登山をつづけた。
 さして著明でもない、田舎の山登りでは、めったに人に出会わない。まして文字どうりの無名の山にいたっては、まずもって、人に出会うことはない。
 だが、その日はちがった。
 
 めったに人の入らない山の道は細く、処によって羊歯に被われ、伸びた低木の枝が通路をふさぐ。
 蜘蛛が捕網を張る。足元、時には木の枝に、蛇が突然現れる。毒をもったマムシやヤマカガシに遭遇することも稀ではない。
 ブヨ・蚊・ハエの類い、ダニ等も盛んに活躍する。スズメバチとの出会いは恐怖と緊張を誘う。
 時には自ら選び、時には道に迷い、薮の中を歩く。
 やっと辿り着いた、谷の清流には、ヒルがひそむこともある。

 だから、冬山歩きが良いのだ。
 落葉樹は葉を落とす。
 この辺りの山は、冬にはスッキリする。ただし、ダニは活働し、羊歯は生え茂る。

                                         表の章 
                                         
                                          (1)
 
 晴天の日の午後、自宅から、車で一時間ほどの山に登った。標高五百メートルに満たない低山である。
 せまいが、山道は残っていた。現状、獣(けもの)主体の通り道であった。其処ここに、鹿の糞や足跡がある。道さえあれば、余裕のある行程である。ゆっくりと尾根に到達し、さらにゆっくり、尾根を進む。風景や木立や岩や土や落葉や草との共鳴を、続けながら。
 頂上付近はやや急坂であった。
 急坂を過ぎ、平坦な三角点のある山頂は、薄く雑木に取り巻かれていた。
 
 そして、一人の男がいた。
 男は雑木の影で、ザックを枕に横たわっていた。冬の太陽は、かなり西に傾き、長い影が男の全身を被っている。
 私の出現に驚いたように、体を起こした。男は、黄色い正ちゃん帽をかぶっている。
 私の挨拶に対して、ぎこちない応えがあった。
 背からザックを外し、男の足側に腰を下ろす。お茶入りのテルモス(魔法瓶)を取り出し、飲む。お茶はまだあつい。大地は冷えている。あらためて、男を見る。
 男は半身を起こしたまま、迷惑そうに待っている。私が立ち去ることを・・。
 長居は無用であろう。日暮れが迫っていた。
 空を見上げると、白い月が中天で、浮いている。西の山なみ上の雲が、少しばかり色づいている。南回りの冬の太陽、消えるのは速い。

 「日が暮れますね」 軽く笑って、声をかける。
 「そう。早く下らないとね」 促すように、彼が応える。
 「あなたは?」 と、私。
 「私はまだ・・、此処にいます」 と、彼。     
 
 「今日は風がないですね」 話題を変えながら、ごろりと寝転ぶ。
 まだ青い空に、白く冷めた月だけが、目に入る。
 「あの月の色がオレンジ色であって、いま少し輝いていればなあ!」 私は半分独り言のように言った。
 「日が暮れると、輝くんですよ」 彼は反応した。以外に、ビビットのある声である。
 
 「ひょっとすると・・、あなたは月が輝くのを、待ってるんですか?」 そんな気配を感じて聞く。
 「ええ、そう・・」 すこし引いて、彼は答えた。
 「今日は満月ですかね?ここで観る月はきれいでしょうね」 白い月は真ん丸である。
 
 人は冬の月をあまり観ない。寒空の月は見る人に鋭く映る。寒さが観る人に余裕を与えないのだ。
 冬の山上で、月の輝きを待つ男に、私は内心で驚いた。”彼は変わっている”
 
 日ごろから、自分の思いと関係なく、他人からみれば”自分も変わっている”と、思われていると、感じていた。
 彼は彼自身を、どう感じているのか。
 私が彼を”変わっている”などと思うのは”自分をまともな人間だ”と自負している自分を裏切っているのではないのか?
 彼も私と同様に”自分はまともな人間だ”と自負しているかもしれない。

 「寒くなる前に下りなさいよ」 彼が言った。
 「ええ、大丈夫です、慣れています」 
 「慣れてる?」 
 「ええ、若いころから、雪山を含め、何度も山で寝起きしています。自分自身の限界がわかります」 
 「暗くなりますよ」
 「ヘッドランプも持参しています」 私は彼を、少しばかりからかってみたくなっているのかも、知れぬ。ヘッドランプは最新式のLED(発光ダイオード)・豆球の2ウエイであり、新品で使用経験はない。一度使ってみたいと思っていた。
 
 彼は黙ってしまった。

(2)

 そうこうしている内に、辺りに薄く夕もやがあらわれ、天上の月だけが白さを増してきた。
 
 「地球の模様はずいぶん変化したはずだが、月の模様は、昔から変わることはない。ずーっと、ウサギの餅つきだ」 何か喋りたくなって私が言った。
 「他にもあるんだ。女の人の顔とか蟹とか」 彼も、気詰まりを打開するように、話を受けた。
 「月には海も水もないから、大陸の移動もない。有史以来、冷えて固まったそのままだ」 と、私。
 「いや、月のクレーターは、隕石の衝突した跡だ。冷えて固まった後に生じたものもあるはずだ」 と、彼。
 「なるほど、人類には月の裏側は見えなかった。人工衛星が撮影するまでは、未知のままだった。科学の未発達な時代、月に生物が住んでいると想像したとしても何の不思議もない」 と、話を飛躍させる私。
 「そうだ。今でも生物が存在していると想像しても悪くない。夢を見る余地は残っている」 彼はロマンチストなのだ。

 人間は科学が未発達な昔、多くの想像をした。この想像は、多くの創造を生んだ。
 多くの古典的なSF物語・種々様々な妖怪の類い・神秘的な神々達など、想像上のものは全て科学を超えて造られた。
 想像力を膨らませる余地の多い時代は、ある意味で豊かであった。

 「昔は、人の心の中で、その辺の木陰や草むらの陰に、妖怪変化が住んでいた。月世界に住人が存在しても不思議でなかった」 私も、夢みてきた。
 「現代は夢が乏しい。多くの人は現実に即した夢しか見なくなった」 と、これも私。
 「そうだ、潤いの乏しい世の中になっているのだ」 彼。

 月が輝きだした。
 色は、赤みがかった黄金色に近い。いかなる宝石よりも美しい。
 「これより以上に美しい色は塗れないだろうな」 と、私。
 「何に?」 と、彼。
 「月に」 と、私。
 
 彼は、一瞬ポカンとした表情を浮かべて、チラリと私を見た。その表情には”この男は馬鹿か?”との疑問が隠されていた。
 
 「いや、単なる私の遊び心です。ええ、空想が好きでして、でも今ではチョッとばかり後悔しています。なぜならば、自然を変えるってことは不自然ですから、公害にもつながります。心の安定をも阻害しますし・・」
 「ロマンチックじゃないね」
 「まったく、すみません」 人知れず、山上で、冬の夜空を眺める人間の思いではない。この際、謝る。
 一般的な人間の判断からは、つまらない想像であったのである。
 
 「あなたは、何故、そんなに、こんな風な月に魅力を感じるんですか?」  私も、聞いてみる。
 「中秋の名月は美しい」 彼の応えは、ぶっきらぼう気味。
 「だが、どんな風な月も素晴らしい。一つとして、一刻として、同じ月はない。全てが最高に美しい」 と、付け加える。
 
 今度は、私が彼の顔を見る。
 彼の顔は気難しげである。私のまなざしを、不快気味に受け止めているのだ。
 
 私は山を下りることにしょう。
 彼を一人にしよう。
 辺りは夜の闇となり、寒さも、より厳しくなってきた。
 もう十分だ。早々に去るべきなのだ。
 月は冴えわたり、足元までもが明るい。が、陰は暗い。
 ヘッドランプに、LED(発光ダイオード)の明かりを灯す。
 青白い光が幽鬼のように、狭い範囲を照らした。
 
 「お先に、失礼します」 
 「ああ、お気をつけて」  
 長時間照明に耐えるLEDの光は、足元を照らすに十分であった。
 だが、急坂のコースには、棒状の手持ち懐中電灯も、有ったほうが良い。
 
 夜の山道は雰囲気が異なる。身近に動物の気配も感じられる。
 緊張を強いられ、彼のことさえも脳裏から去る。
 緊張がまた楽しさも生んでいた。

 (3)

 ”あの男は月を見て、何を思っていたんだろう?”
 ”少し度が過ぎているんじゃないか?”
 ”アイツニハ負けそうだな”
 ”あんな奴がいるのも楽しいな”
 
 あれ以後、私の脳裏に、いつとはなく彼が現れる。
 
 「おじいちゃん!土星に色を塗ろうか?」 我が家を訪れた孫娘が、私を見るなり、こう言った。
 「いいとも、土星を描いてくれる」 
 孫娘は、不用になった大きなカレンダーの白い裏側に、土星を描き始める。
 大胆に、どんどんと描き進める。大きな土星が茶色の線で完成する。
 だが、まだ色塗りを始めない。 
 土星の輪の上に、何かを描き出した。
 「何を描いてるの?」 聞く。
 「選手」 と、孫娘は答える。
 「何の?」 
 「ここで”走りっこ”とか、スケートをするの」 
 「ふうん・・」 
 幼児は次から次へと発想を膨らませているのだ。
 土星の輪の形が、それを描いてゆく内に、運動場(陸上競技場)やスピードスケートのリンクを発想させていたのである。
 幼児には素直な発想だが、大人(おとな)には出来難いのだ。
 「なるほどね」 一呼吸おいて、私は一人語ちた。「これもSFで使えるな」 
 
 土星の輪に水を撒き、凍らせる。そして巨大なスケートリンクを完成させる。あるいは凄まじい氷山脈を造る。
 そこで、宇宙オリンピックを開催する。etc.
 現実をはるかに超越した、馬鹿げた夢が広がる。
 
 「もう塗っていいよ」 しばらくして孫娘が言った。
 「おじいちゃんはここを塗って、まゆは輪を塗るから」 私には、縞状の土星の本体を塗れと言うのだ。

 孫との付き合いは疲れる。
 ”同じ疲れるなら、今度は山登りだ” 土日等の休日以外の日には孫は来ない。幼稚園に通っている。
 今度の休日には、山へ逃げよう。
 
 実は、あの日以後にも、あの男に出会った。
 所要があってのドライブ中に、車の窓外に彼を見たのである。
 山すそ道路を走行中、バス停の陰で、向こうを向き、竹薮を覗いている男が、彼らしくもあった。男の雰囲気、何よりも黄色い正ちゃん帽が彼であることを示唆していた。
 ”やはり変わっているんだ” そういう雰囲気を、あらためて感じた。

  (4)

 やがて冬は過ぎ去り、春となった。
 四月下旬のある日、目を引く記事があった。
 毎朝読む地方紙の地元版に ”早くも筍どろぼう?” との見出しで記事が掲載されていた。
 目を引いたわけは、それが近所であったからである。
 
 隣町で、”竹の子林を荒らしていた” との理由で住所不定の男(45才)が逮捕された。頭をもたげたばかりの、筍を踏みにじったことに、腹を立てた竹林の持ち主が交番に訴えたためであった。
 交番で、男は否定したが、持ち主は激怒したらしい。警官の目前で、男は持ち主を突き飛ばし、軽傷を負わせた。そして留置されたと記述されていた。

 丹精こめた、竹林の竹の子を踏みにじられた、持ち主の気持ちが、私には解る。
 
 逮捕された男が気になった。
 交番は近い。
 散歩がてらの自転車走行で、その交番を訪れる。
 顔見知りの中年のお巡りさんが、朝食をとっている。挨拶をする。
 「今朝の新聞みたんですが・・、知り合いかもしれないので・・」 と、きりだす。
 「そうですか、彼も食事中です」 留置室を振り返る。
 やはり、あの男であった。
 
 「新聞報道ではあのように報じられましたが、まずもって問題ない方です。すぐ釈放予定ですから」 と、お巡りさん。
 「報道は大げさですか?」 
 「少しね、竹林の持ち主も、やや激情型の人でしたが、あの後仲良くなりました。ほれ、あの筍は彼が今朝早く置いていきました」 と、床の片隅を指す。掘り出したばかりの筍が3個、古新聞紙の上に置かれている。
 「すると、真相は?」 
 「彼は、竹林内の空き場所にテントを張ろうとしていたのです。ところがその空間は、まさに筍が芽が出す場所だったのですよ。彼は地面の凹凸を足で慣らした。芽を出さんとしていた筍の頭部が潰された、というわけですよ」 小声で語る。
 私は彼のザックを見る。テントや寝袋らしき装備のあるパッキングであった。
 「ところでですね」 お巡りさんは小声で続ける。
 「彼は住所不定なんですが。この冬中、野外で 過ごしていたらしいのです。竹林でテントを張って寝泊りすることが多かったみたいですね」 
 「それは、変わってますね!」 ”彼が変わっている”という私の観念が増幅されていく。

 「釈放しましょう」 若い巡査が入ってきた。
 「うん」 
 男は留置室から出てきた。私の顔を見るなり言った。
 「布団の中はいい」 
 「困りますよ」 と、若い巡査 。
 「今日からまたテント泊まりですか」 と、私が聞く。
 「うん・・、でも、竹薮泊まりはもう終わりです。もう、やぶ蚊が出ますから」 と、答える。
 五月ともなれば、やぶ蚊はおろかやぶ蛇もでる。それに、竹の子が伸び、テントを張る空隙も減ってくる。
 「そうですとも」 私が同意する。
 駐在所を出る。

 (5)

 「お仕事は?」 私が聞く。
 「ありません」 ふと、彼のひとみが下がる。「リストラで・・」 と。
 「そうですか」 私にも経験がある。
 「お茶かコーヒーでも飲みませんか?」 最近開店したばかりのログ風喫茶店が、本通りを外れた高台に見えた。そこを指す。
 「あ、いいですね」 彼はザックを背負う。
 「失礼、坂道でした。重いですね」
 「いや、平気です」 大柄ではないが、さすがに足腰はしっかりしている。荷台のない自転車を押す私の方が不安定である。
 坂道をジグザグに上る。
 見晴らしの良い位置にある喫茶店である。
 「モーニングにしますか?」 若い女性店員が問う。
 「はい」 と答える。
 「私も」 彼も注文する。朝食を食べたばかりだが、彼の食欲は旺盛だ。
 「ちょっと、電話を」 私が席を立つ。朝食をつくって待っているはずの、妻への連絡のためにである。

 「久しぶりでした」 あらためて挨拶をする。
 「テントで、寝泊りしてるんですって?」 
 
 それについて、彼が説明を始める。
 「私はXXの社員でした」 XXは有名な一流企業である。
 「バブル崩壊後、不況が長引きまして、XXも不採算部門を中心に人員削減を何度か行いましたが、私も対象になりました。年齢的には対象から外れてもよかったんのですが、部門での受けが良くなかった。私もそこがいやでした」
 「うん」
 「退職金も多く、新天地を求めるつもりで、そこを退社しました」
 「奥さんや子供さんは?」 
 「独身です。会社の寮にすんでいました」 
 「そうなんですか」 
 「安アパートに引越し、求職活動を始めたんですが。意外なことが障害になったのです」 
 「なにが?」
 「学歴と経歴です」
 私には、なんとなく解る気がした。自分にも似た経験がある。
 
 「これといった仕事も見つからず、数ヶ月が過ぎました。独り身で、これまでの蓄えと退職金に加え、雇用保険金などで金銭的には、さしあたって困らない。私は、何かをやり遂げてみようと思ったのです」 
 「そうですか」 
 「そのきっかけは、ある夢をみましてね」 彼は一息ついた。すこし照れている。
 モーニングセットが運ばれてきた。

 (6)

 「私は独身でしょ」 コーヒーを一口飲んで、笑顔で語る。「若い女性の夢をみることが多いんです」 と。
 「はい」 私も笑い顔で相づちをうつ。
 「ある夜のこと、かぐや姫の夢を見たんです」 
 
 かぐや姫は、桃太郎と共に、幼稚園児以上の日本人なら誰もが知っている超有名人である。
 
 桃太郎にはモデルとなった人物が存在するらしいが、かぐや姫は架空の存在と考えらている。
 竹の中で発見され、10cm足らずの体が、わずか三ヶ月で年頃の、輝くばかりの美しい女性に成長し、求婚する男性には、無理難題を押し付けてはねつけ、果ては、自分は月人であると告げ、月へ帰る。これは架空以外の何ものでもない。
 そういう人物がかぐや姫である。
 ついでながら、かぐや姫が登場する竹取物語は現存する日本最古の物語の一つでもある。八世紀に創られたと想像されている。ちなみに、源氏物語は十一世紀はじめに創られた。

 「かぐや姫の夢をですか?」 そんな事もあるだろうな、と聞き返す。
 「そうです。それが、リアルな夢でしてね。目覚めた後も、はっきりと思い出せたほどだったんです」 
 「竹取物語をですか?」 
 「そうでもありません」 彼は、ここでまた一息いれる。モーニングセットに手をつける。何かの感慨を持った表情である。
 
 「私にも、実は・・」 と語り始める。
 「心に思う女性がいました。高校時代の同学年の人でしたが、高校卒業と共に、言葉も交わせぬままに、別れ別れになりました。手に手に卒業証書を持って、校門を出る。坂道の下りで、上がってくる彼女が、最後の出会いの姿でした」 
 
 「その後、何度も何度も、彼女を意識した夢を見ました。教室や運動会や文化祭で、彼女を意識しながら行動する自分自身の夢ばかりをです」 
 「初恋の人に対する夢って、そんなものですよ」 私も同様の経験がある。
 「それがですよ!」 少し彼の口調に力が入った。
 「ついに、彼女が微笑みかけて来たのですよ!実に良い笑顔でした!」 彼は、夢を見ているごとき表情である。
 「素晴らしい微笑みで、語りかけて来ました」 
 
 「へー、そうですか。それはそれは」 私のあいづち。
 「それは、リストラに遭った後で、就職活動に困っている時でした」 彼は続けて語る。
 
 「夢の中に突然現われた彼女は、間近な大写しで、私に言いました。”私ガワカリマスカ” と ”ハイ、モチロン!” と私も答えます。たった、それだけでした。あなたからは馬鹿のように思われるでしょうが、私にとっては、幸せな夢でした。女神のごとき笑顔が、私の心をとらえ、包み込んだのでした。
 「たったそれだけ?」 呆気に取られて私が聞く。
 「その夜はそれだけでした」 
 「あなたのかぐや姫は、あなたの初恋の人なんだ」 
 「初恋ではないですが・・。かぐや姫に変身するのは、次の夜の夢の中でした。冴えた夜空に中秋の名月が輝いている、安アパートの窓越しで、思わず長く見とれてしまったその夜、再び彼女は現われました・・・」 

 「彼女は中秋の名月にオーバーラップして現われました。そうして、呆然としている私に ”私ハカグヤ姫デス” と言いました。見れば、平安時代のお姫様のような着物を着ています。さらに ”私ハ月ノ世界ノ住人デスガ、地球ニ、モウ一人ノカグヤ姫ガイマス、サガシテクダサイ” と言って、私を見つめると、ふっと消えてゆきました」 
 「へー」 夢の世界の感動は本人でなければわからぬ。私の応えは単なる”へー”である。 
 「ハハー、それで竹林や月を見てたんだ!」 次いで反応する。
 「はい、そうです」 と、彼の顔は打ち解けていた。

(7)

 要するに、彼はこの夢に感動した。
 かぐや姫を捜す旅に出た。
 竹取物語のかぐや姫は竹の中から見つけられた。
 ”もう一人のかぐや姫も竹の中にいる” 彼はこう考えた。
 
 最初の旅先を、京都府にした。有力な竹取物語発祥の地である、京田辺市の竹藪を歩いた。
 だが元より、光り輝く竹などという物は、簡単に見つかりはしない。たとえその様な竹が有ったとしても、明るい日中には見出せない。
 彼の行動は自ずから、夜中ということになった。夜、竹薮の中に、光を求めればよいのであった。一目で広範囲の探索が可能であった。昼間に竹薮の存在箇所を確かめ、夕方暗くなってから捜索する。これを気ままに繰り返していったのである。そして、ここまで辿り来た。
 
 「つらい事もありますよ」 おおかたの話をした後で、彼が言った。当然のことであろう。
 「でも」 と私が答える。「もう一人のかぐや姫が、竹の中に居ると、断定出来るんですか?」
 「いや、断定出来ません。だが、私は彼女を捜す行動をしたかったのです。何かをやってみたかったのです」 ”馬鹿を承知の行動だ” と彼の顔が語っていた。
 「男とはそういう動物です」 と、私。 「で、いつまで続けるんですか」 と、聞く。
 「もうすでに、一年半も続けています。つらい事だけではないんですよ。時には夜空の美しさに、つらさを忘れます。とは言っても、これまでしてきたような、竹薮ばかりの探索は今回で終わりにしようかなとも、思っています。また、別な方法を考えます」
 
 「そうでしょうね」 私もあいづちをうつ。「本当に、もう一人かぐや姫がいるのだったら、あなたの夢の中に、また現われるはずですよ。何かのヒントを携えてね」 
 「そうでしょうか」
 「そうですとも。でないと、夢のかぐや姫は、不親切過ぎますよ」 私は、少しだが、彼が憐れに思えてきた。
 「かぐや姫を捜すのは・・、長期戦術に切り替えませんか?世の中の景気も回復して来つつありますから、まず仕事を見つけましょうよ?」 と、彼に言う。彼の表情の奥に、芯の強い何かを見る。
 「そうします」 ぽつりと、簡単に答える。

 「ところで」 やや間をおいて、窓外を見やりながら、彼が言う。
 「ここは景色が良いですね。あの山はなんという名の山ですか?」 
 「東光寺山です。この地域での最高峰です」 
 「他にもきれいな山が多いですね」
 「そうでしょう」 私は少し嬉しくなって応える。「また遊びに来てください」
 「ええ、そうします。今日はつまらぬ話を聞いていただき、ありがとうございました」

 その日、彼とはバス道で別れる。
 彼は別れ際に言った。 「これからも、かぐや姫、捜します」 と。
 
 夢の体験は、リアルで強烈な印象を、彼に与えたのであろう。次元の異なる何かが、彼へ、介在したのかもしれぬ。
 彼も、私と同様の、不思議な人生体験をするのかもしれない。

 (8)

 5月のある日曜日、我が家に孫娘がやってきた。
 「おじいちゃん、星、持ってきたよ」 
 「なんやそれ」 
 「これ」 
 「なんや、金米糖やないか」
 「おじいちゃん、二つあげる」 と言って赤と白の金米糖をくれる。
 「そのかわり、お絵かきしょうよ」 
 「うん・・」 そ〜らきた!、疲れる遊びが始まるのだ〜。
 例によって、家内の残しておいた不用カレンダー裏にえがく。孫娘は円をかいた。
 「これ、お月様。おじいちゃんはお星様をかいて」 と言う。私は一筆書きの星(ダビデの星)を一つかいた。
 「違うよ、ここはいらんの!」 と、星型の内部の腺を指す。
 「いや、これもお星様だよ」 と、私が抵抗する。
 「まって」 孫娘は持参した”お絵かきセット”のケースを開き、星型を取り出した。
 「ほら、これがお星様なの」 見れば星型のスタンプであった。これには星型内部の腺は無い。
 「わかった。おじいちゃん、このスタンプを押すよ」 2センチ足らずの印、これならば画くより楽である。孫娘もうなずく。
 スタンプの色は赤・青・緑の三色、適度にばら撒いて押す。
 大きな月と小さな数多くの星が、白いカレンダーの裏に表現されてゆく。
 「星はこれでおしまい」 と、スタンプを置く。これで休憩、あとは孫娘が仕上げるだろう。案のじょう、彼女は熱心に色塗りを始めた。私はテレビをつける。デーゲームのプロ野球がある。応援チーム、今年はまずまずの出来なのだが?ーーーー
  
 「おじいちゃん!」 それ、来た!
 「なんや」 
 「星に色を塗りなさい!」 
 「ハイ!」 私はおどけて返事をする。孫娘には弱い。自分の押した数多くの星に色を塗る。模様まじりの赤っぽい月の回りに、青や黄やオレンジ、果てはお絵かき道具に存在する、ありとあらゆる色を塗って終了する。
 「はい、おしまい」 と孫娘にわたす。
 ところが。
 「ここも、ここも、お星様のスタンプ押して、塗るの!」 空白部分を指して、私に命じる。
 「お空には、そんなにたくさんの星はないよ」 と、今度も私は抵抗する。
 「あるの!見えないところにもいっぱいあるの!」 そうか、どこかで憶えてきたらしい。否定することも出来そうにない。
 とうとう、その画面は、月以外、星で満たされてしまった。
 「おじいちゃんはもう駄目だ、休憩だ」 星の色塗りをギブアップする。
 「いいよ」 後の色塗りは孫娘が引き受けた。


裏の章

 (イ)

 孫娘はカレンダーの裏面に、月を中心とした星だらけの絵を描いた。
 星のスタンプを押し、星を塗るのを手伝わされた私は、あまりに多い数に閉口し疲れた。

 宇宙に星の数は文字通り”星の数”ほどある。無数無限にある。
 私は、かって蝶ヶ山の山頂でアンドロメダとペルセウスに出遭った。彼らは深夜に、アンドロメダ星雲を伴って現われた。星雲の無数の星は、星色の巨大な蝶となって、私の眼前に出現した。
 私と意思交流した後、彼ら(?)は夜明けを待たず、宇宙へ返った。
 その際、数個の星が私の五体を貫いて消えた。
 
 その後にも、同じ場所で、こんどはおとめ座のアストレイアに遭遇した(注:おとめ座にはデメテル神話とアストレア神話の両方がある)。
 正義の女神アストレイアは、私を宇宙へといざなった。その際、アストレイアは私に言った。
 「あなたの体内には、幾つものアンドロメダの星が入っている。あなたは自分自身の意思で飛べる」 と。
 躊躇する間もなく、アストレイアに導かれて、一等星スピカをかすめて、M104星雲(ソンブレロ銀河)へと進入した。
 そこで訪れた惑星はラウル、生態系を厳密に保持する生物の星であった(嘘山行記”蘇る惑星:無垢惑星ラウル)。
 次いで、M61銀河の惑星サドンへと飛んだ。
 そこには、超新星爆発の影響を受けて、一瞬の内に知能が退化した人類が、住んでいた(嘘山行記:蘇る惑星:蘇る惑星V:M61銀河の惑星サドン)。

 これらは、時空を超えた飛行であった。
 この二度にわたる”蝶ヶ山”登山こそが、私の種々な不可思議体験の原点にあったのである。
 
 今回出遭った男の話は、私の一連の不可思議体験と同一線上にあるように思われた。と同時に、私の心を捕らえてしまった。
 
 ”かぐや姫はもう一人いる!”
 ”どこに?どうして?なぜ?”
 ”どこから来たのか?” ”月か?それとも?”

 疑問と興味が交差する。

 (ロ)

 還暦を過ぎて数年、夢は過ぎ去ったのか。
 現実の充実のみを求める日々になったのか。
 かぐや姫を捜す、あの男には、あきらかに私とは異なる夢がある。スタンスの異なった夢がある。
 知らず知らずの間に、マンネリが自らを支配してゆく。
 飛躍を拒むものが、心中に増殖してゆくのである。

 二度目の蝶ヶ山登山から三年が経過した。
 もう一度この山に登りたくなった。
 特に、不可思議体験を期待したのでもないが、何故か”この山に登りたい”という衝動に駆られたのであった。
 
 早朝に自宅を出て、谷川沿いの林道脇に車を止め置き、登った。
 落葉樹の新緑とツツジの花が歓迎してくれた。ときおり、遅咲きのツバキの花も、常緑照葉の濃い葉の中に浮かんでいた。
 下方の蝶ヶ池も、新緑に囲まれ、エメラルド色に輝いていた。
 本日は快晴、五月晴れであった。
 風はほとんどない。
 今、時刻は昼下がり、白い登山帽を顔面に被せて頂上で仰向き寝転んでいる。
 
 最初に、此処へ来たときは、四年前の晩秋、ペルセウスとアンドロメダに遭遇した。
 二度目ときは、次の年の五月末、今度は、アストレイアに遭遇した。
 彼らは、その季節の星座である。
 いずれも深夜での遭遇だった。
 彼らは夜明け前までだけの存在だったのだ。
 今は昼下がり、眩い。
 彼らに出会うことは無いだろう。
 それを期待したわけでは無いのだから。等と、漠然と思いめぐらす。
 登山の疲れか、この休息が快い・・・・。
 ・・・いつの間にか、登山帽の下で閉じた眼裏に、星が現われていた。孫娘と共にカレンダー裏に作成した星々らしい。
 ・・脳裏に刻まれていた残像か?・・・自分は・・眠りに入っているのかな?・・

(ハ) 

 突然、眼裏の星々がフッと消えた。
 何かの気配がした。
 登山帽を取り、身を起こす。
 目の前に一人の女性が立っていた。
 やはり古代ギリシャ風の衣服をまとっている。アストレイアではない。羽も無い。
 「デメテル?」 問いかける。もはや驚き、呆然とすることもない。
 彼女はうなづいた。中年女性の落着きがある。
 私も、はや老年に近い。

 「蝶ヶ山へ、ようこそいらっしゃい」 
 「失礼します。急きょ、ここへ登りたくなりました。あなたに出遭えるとは予想外でした。まだ昼下がりですからね」 
 「私は寒い暗い夜は嫌いなのです」 と、デメテル。彼女は豊穣と農業の女神である。
 
 「あなたは、乙女座の方でしょう。夜に輝くあなたが何故、昼間に?」 
 「私は乙女座を、私の娘、ペルセポネに譲りました。したがって、私は現状、夜に輝く星座ではありません」 
 「ああ、あのお気の毒な娘さん、死の国の王ハデスに連れ去られた美しいペルセポネが、今は乙女座の星座なのですか?」 
 「そうです。ハデス連れ去られる前の、清らかなペルセポネが、今は乙女座の乙女なのです。ペルセポネは、もう一つの呼び名を、コレ(少女の意味)とも言うのですよ」
 私は、デメテル説の乙女座が、ペルセポネ説に移る経過を理解した。が、もう一つ疑問があった。
 
 思いきって聞く。
 「乙女座の乙女は正義の女神アストレイア、とする説もありますが?」 
 「乙女座の足元に天秤座があります。乙女が天秤を取り込み、天秤を持った乙女座になるとき、乙女はペルセポネからアストレイアへと変わります」
 「なるほど」 私は納得した。
 乙女座と天秤座は、併せて人の心を量る神の星座なのであった。
 
 ギリシャ神話の世界は、神々を主題としていながらも、極めて人間的である。
 浄化されてはいるが、至るところにドロドロとした物語を含む。
 登場する神は人間と異なり、不死であり超能力を有するが故に、特別なバリエーションの行動をとる。
 古代エーゲ海文明人が、雑多な説話を元にして創造した、人間的神話物語である。

(ニ)

 今回の私は、蝶ヶ山山頂に、真昼間に登頂した。
 季節は新緑の五月である。
 現われたのは、農業をつかさどる豊穣の女神デメテルであった。
 
 デメテルは言った。
 「風のおだやかな暖かい春、あなたの思いは何ですか?」
 「私の思いは、幸せでいっぱいです。山に登れば、こんなに良い時もあるんですからね」
 「そのとおりです。人間は、開放された自然の中で、もっとより多く過ごす必要があります。理屈では無くて」
 
 「だが、別の思いも、もちろんあります」 と、私。
 「どのような?」
 
 私は、かぐや姫をさがす男のことを、話した。しばし沈黙の後、デメテルは言った。
 
 「セレネが関わっている可能性があります」 
 「セレネとは?」 
 「月の女神です」 
 「月の女神?」
 「古代ギリシャでも、月は最も神秘的な存在でした。その神秘性は、より女性的なものとされて、多くの月の女神を輩出しています。セレネはその内の一人です」
 「アルテミスやルナ、それにダイアナなら聞いたことがありますが?」 
 「セレネとルナは同一、アルテミスとダイアナも同一です。前者がギリシャ神話、後者がローマ神話の呼び名です」
 なるほど、セレネとはルナのことであった。
 「セレネは満月や月光の意味が強く、アルテミスは三日月の意が強いのです。三日月の形を弓に見立てて、狩猟の女神でもあります。でも多くの場面で、二人は同一混同されています」 
 
 なるほど、そういえば、セレネあるいはセレナを聞いたこともある。
 serene(セレン)は元素名でもあり、”静かな穏やかな状態”の意でもある。
 私は思いつきを言った。
 「セレナーデ(小夜曲・夜曲)も、セレネから由来していますか?」 
 「そうでしょうね」 デメテルは、思案げに返答する。

 (ホ)

 「よくはわかりませんが、その人は危険でもあります」
 「なぜ?」 
 「セレネはギリシャ神話の中で、羊飼いである、絶世の美少年エンデミオンに恋をしました。その少年の美貌が失われぬようにと、彼に、不老不死の永遠の眠りを授けたのです。彼女は、男性を、永い夢の世界に閉じこめる癖があるからです」
 「そうですか・・・」 私は考えこむ。彼は確かに、夢みていた。
 「その夢から開放することが出来ますか?」
 「さあ、それはどうでしょうか?彼女も、エンデミオンの眠りを覚ますことが出来なかったのですから」 
 
 「セレネが関わっていなければ良いのですが。関わっていたとしても、軽くあればいいのですが、と思います」 と、私は急に、彼(かぐや姫を捜す男)が可哀相に思えてきた。
 「セレネに会ったときに、進言しておきましょう」 と、デメテル。
 「是非ともよろしくお願いします」
 「ところで」 と、私はつづける。

 「実は、以前から不思議に思っていることがあります」
 
 「ここは、如何なる世界なんですか?あなたはギリシャ神話の世界の住人ですが、私は現世界に生きる人間です。今なぜ、ここに同時に居られるのですか?」
 「異次元世界です」 女神デメテルは簡単に答えた。
 が、すぐに 
 「ただし、今この場は、現世界とオーバーラップしています」 と付け加えた。
 私の予想どおりであった。
 
 「現世界は立体的な三次元で成り立っています。これに時間因子をプラスして、四次元世界である、とも言われています。今のところ、我々地球の人間は四次元を超える世界を知りえません。体験することが出来ないのです」
 私もすぐに付け加える。
 「異次元を体験してみたい」 
 
 「異次元世界は単一ではありませんよ」 デメテル
 「あなたの住んでいる世界は人間の想像した世界でしょう?」 私
 「そうでもありますが、どちらかと言えば、人間の夢の世界に似ています」 デメテル
 「同じようなものでしょう?」 私
 「かなり異なります。あなたは、自分自身で経験したこともなく、書物やメディアで見聞きしたこともなく、かって想像したこともない夢を、突然に見たという経験がありませんか?」 デメテル
 「あります。あまりにに意外すぎて ”なんでこんな夢を見たのだろう” と、”自分自身の頭脳の中に、別の人の経験が潜んでいるのではないか?” と不思議に思ったこともありました」 私
 「私の住んでいる世界は、あなた方人間の想像を越えた想像の世界に、似ているのです」 と、デメテルは言った。

 「なぜあなたは異次元世界を体験したいのですか?」 と、デメテル。 

(ヘ)

 「あなたは今、”異次元世界は単一ではない” と言われました。つまり、私は色々な種類の異次元世界があると理解しました。私は色々な異次元世界を経験し、それらの異次元世界および異次元世界間での可能性に興味を抱いたのです」 私は、頭に浮かんだことを、そのまま言葉にした。内心には、星を塗れる可能性をも、想定していた。
 
 「わかりました。あなたには、何か期するものが有るようですね」 と、デメテルが応える。
 「しかし」 と、つけ加えて。
 「あなたの世界と異次元世界との交流は夢幻(ゆめまぼろし)の世界でしかありえません。夢幻世界に第三者の立入る余地はないのですよ」 と、言った。
 
 「第三者とは、私の属する世界の第三者のことですね?」 
 「そのとおりです」 

 私は少しがっかりした。
 異次元を通じ、宇宙で星を塗るパフォーマンスが可能になったとしても、世の中の人々には見てもらえないのであった。
 「異次元世界に完全に入り込めば、あなたの住む現実世界の時空を超えます。今ある状態は両世界のオーバーラップゾーンなのです」 デメテルの言葉は、現世界との交流の困難さを示唆する。
 
 「あなたの世界の時間が経過しています」 彼女が口調を変えて言った。
 太陽は、すでに、遠い東の山嶺上にあった。
 上空の紺碧であった空間は、より茫洋と深まりを増していた。
 
 何一つ見えない深遠の大気は、いつの間にか、私の意識を遠ざけつつあった。

 終章

(*)

 私は登山帽で顔面を覆い、その眼裏に無数の星々を浮かべていた。
 その星々が急に動き出した。
 同時に、小鳥の声が聞こえたような気がした。
 動き出した星達は姿を縮め、闇の中へと消えていった。
 小鳥の声が、今度ははっきりと聞こえた。
 ウグイスの声であった。
 
 現実が脳裏に飛び込んできた。
 顔面から帽子を外す。
 動作に驚いたのか、ウグイスの鳴き声が谷渡りに変化した。
 上空は茫洋として深い。
 身を起こした視線の奥の太陽は、先程と同じく、山稜上に浮かんでいた。

 デメテルはもういない。
 記憶は明確、夢ではなかった。

 ”今回の蝶ヶ山登山に駆られた理由は、これだったのか?” と、漠然と思う。
 だとすれば、巷に於ける私の思いは、デメテル達につながっている。
 少なくとも ”ある種の異次元の、ある種の住人に対しては、私のプライバシーは存在しないのである”
 
 ”正に、神様は全てをご存知なのである”

 私は心中で愕然とした。
 これが、身中に、アンドロメダ星雲の星を抱いた私だけに生じる現象なのか、あるいは全ての人々、ひいては全ての生物に及ぶことなのか。
 少なくとも私には、それを理解可能な能力があるらしい。
 時によって、それを理解し得る人間は不幸である。
 
 完全な日暮れが訪れる前にと、山を下る。

 (2*)

 異次元世界を通じて行えば、星に色を塗ることも可能に思える。
 しかし、その状態が、この我々の次元世界からは見えない。
 同じこの世に生活していても、他人に、自分の世界が見えないと言うことは多々ある。
 互いに誤解だらけの中での日常である。

 しかるに、ある種の異次元世界からは、我々の行動のみならず、思想や思想の推移まで見えているのである。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
 他に、星に色を塗る方法を模索する。SF的に空想を展開する。
 
 二度目の蝶ヶ山登山のとき、アストレイアは私に 「あなたは、自分自身の意思で飛べる」 と言ったのである。私には、時空を超えて、どこかへ飛ぶ力があると、知らしてくれたのである。
 
 まず手始めに、火星と木星の間にある小惑星帯にでも行ってみるか?。などと考えてみる。
 いや、最初だから、月の裏側ぐらいが妥当か?。
 どちらも、まだまだ未知の世界である。
 
 だが、未知と言う意味では、小惑星帯に、より魅力がある。
 たとえば、ある種の小惑星群には宝石やその原石が満ちている。
 そこには、ルビー(紅玉)やカーネリアン(紅玉髄)やシトリン(黄水晶)やエメラルド(翠玉)やサファイヤ(青玉)やラピス・ラズリ(瑠璃)やアメジスト(紫水晶)等が豊富である、とする。
 それらの粉粒を使って、暗闇の宇宙空間に描画する。
 それに向かって光線を照射する。
 そうすれば、その空間に光り輝く映像が画かれるのだ。
 星空をバックに素晴らしい宇宙絵画が出現する。

 
 あるいは、オーロラのように、太陽風と地磁気でコントロールされた絵画もある。

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 だが、もう終章だ。これ以上は別の物語になる。
 
 かぐや姫をさがす男からの連絡もない。
 彼は実務にありついて、月の光から遠ざかったであろうか。
 月光から遠ざかれば、セレネの魔力からも離れられるかも知れぬ。

 ロマンと夢を混同してはならぬ。
 夢は、身近に始まる。
 ロマンは、夢にかける情熱の発露である。
 
 人間は不用意に飛んではならぬ、翼を持たぬ人は落ちるから。
 地道な行動の積み重ねが、いつの間にか夢やロマンに変化するのだ。

                                2006.05.07(完)