光る山の伝説

雪山で遭遇した黒い人、山頂の光輝と伝説

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(1)

昭和XX年二月、その年は例年に比べて雪が多かった。
 快晴の夜であった。
 二人の青年が、綺羅山(きらさん)の雪路を歩く。SとK、二人は山学会の仲間である。
 「一度、雪洞を経験しょうじゃないか」 
 「やろう」 
 若者は強く、恐れさえもはね返す。
 綺羅山は彼らのホームグランド、休日の前日、勤務を終えたあと、二人は山に入ったのである。

 雪の山道は、夏路とは異なり、どちらかと言えば歩きやすい。登山道を外れぬ限り、アイゼンを装着するだけでOKであった。
 快晴の雪山、風さえも無い。恵まれた夜間の登山行である。
 「ヘッドライトもいらんな!」
 「最高や!」
 二人は次第に高度を上げる。あつい身体とはうらはらに頬にあたる空気は冷たい。
 山荘のある湿原を過ぎ、頂上に直結するルートに着く。ワッパを付け、少し登る。
 「この辺でどうや?」
 「ええやろな!」
 ルートからやや右に外れる。
 スコップは一本、一人はピッケルを振る。
 深い雪である。
 風も少し出てきた。
 軍手の上にミトンを付けた手が冷たい。
 「このくらいにしとこうか?」
 「ま、ええやろ」
 二人が掘ったのは、縦穴の雪洞である。
 風は座した頭の上を通り過ぎる。
 キルテングジャンバーとオーバーズボンと尻皮とポンチョだけの防寒装備、ザックも足を入れる防寒具である。
 Sが、ガソリンコンロで、スキムミルクを沸かす。砂糖もたっぷりと入れている。
 突然、寒さで側らのピッケルが鳴り出した。ジーージーーと細かな振動音である。頭部ニッケル・クロム鋼部分が鳴り続ける。
 Kが、コンロにかざしていた手で、ピッケルのピックを握る。音は止む。
 「あれ!」 Kが声を発した。手の平がピックにひっついたのである、糊をつけたように。暖かくなった手の平の水分が、冷えきったピッケルで一瞬の間に凍りついたのだった。
 「すげー寒さだ」
 「びっくりするなー」
 二人にはこれまで経験したことの無い寒さである。
 ピッケルは倒し、暖かいスキムミルクを飲む。
 「明日は、日の出前に頂上へ行こう。そして日の出を待とう」
 「うん、ちょっと眠ろうか」
 
 風が頭の上を過ぎる。高い満天の空には星が散らばり、冴えている。
 Sは疲れのためか短時間で眠りについた。
 しかし、Kはなかなか眠れない。しゃがんだ姿勢、冷えきった身体、環境が酷であった。
 時間は過ぎてゆく、Kは眠れない。みずからを騙して漠然と妄想をつづける。身体は休眠状態に陥り、寒さの感覚は薄れてゆく。
 
 夢うつつの感覚の中で、雪洞が明るくなった。
 ふわりと白いものが舞い降りて来た。人間である。そして雪洞の縁に立ち、自分達を見ている。
 白髪に白髭、白い衣を身に纏っている。顔は黒い。ひとみが大きい。
 Kにはまだ、夢か現実かの判断も出来ない。漫然とその人物の顔を見ている。痩せた細面に、鼻が異常に高い。日本人ではない。
 「あなたはだれですか?」 Kは声にならない声を出した。
 「私はマー」 彼は、声を出さずに語る。「大丈夫だ、応援している」 と。そして安心したような表情を残して消えた。
 ほんの一瞬の出来事だった。
 Kにとって、彼が語った言葉も、実は漠然としていて、本当にそう言ったのかどうかも、我ながら釈然としない。
 しかし、妄想は消え、安らいだ気持ちになっていた。
 ”彼は我々の行動をよろこんでいる” それは青年の心に希望の灯ごとく点った。
 そしてKもまた眠りについた。

 「寒いのによお眠るな」 Sの声である。スエーデン・ホエーブス社製の携帯用ガソリンコンロで、すでに湯を沸かせている。
 「ああ、眠れたなー」 時刻は5時を回っている。インスタント味噌汁を解かし、目刺しを焼く。アルファ米を膨らます。そして朝食を終える。
 「コーヒー飲むか?」 Sが聞く。
 「飲む」 Kが応える。
 「昨夜、不思議な夢を見たんや」 Kが言った。白髪・白髭の黒い顔の人物のことを話す。
 「極限状態では、そんなこともあるらしいよ」 Sは理解してる様な口ぶりで言った。「よく寝られて良かったな」
 「日の出は6時50分ぐらいのはずや、頂上まで半時間あれば行けるやろ」
 「雪の加減次第やけど、まあそんなもんやろな」 本日も晴天である。
 
 綺羅山頂は海抜千二百米余り、頭一つ抜けて高い。
 日の出前の白んだ明るさの中を二人は登る。東面からのルート、頂上の北に雪庇が張り出している。尾根に出て北に向かう。目前に頂上がある。
 「あれはなんや!」 Sの声である。頂上を見ている。
 頂上の雪庇の上に”光るもの”がある。
 「雪じゃないのか?光る雪だ!」 
 「変だな、まだ日の出前や、それに何か人影も見える」 影は光の中でおぼろである。
 二人はゆっくりと近ずく。雪の尾根は神々しいばかりに清浄である。
 東の山並み、日が登る辺り、急激に明るさを増してきた。
 
 突然、綺羅山頂上の光が、空間に躍り出た。
 光の中、雲の上で、人影がこちらを見ている。
 人影は軽く手を挙げたように見えた。
 雲は東の空に一瞬とどまり、日の出の光の中で紫色に輝き、太陽に向かって消えていった。
 「見たか?」 Sが言った。
 「見た」 Kが答えた。
 不思議な現象であった。

 だが景色も素晴らしい。全てが超現実に想われる世界である。
 不思議なものが不思議に思われない、そんな現実がある。



 
 西側の山並みに映った、長く延びた、綺羅山の影は次第に短くなっていった。
 「南西稜を通って戻ろうか」 Kが言った。
 「うん、途中から出雲原へ抜けよう」 Sが答えた。
 南西稜も雪に覆われ、疎らに木の枝の頂部が山道の両側に伸びている。西側には雪庇が張り出している。
 雪山、朝日で眩しい。
 二人は濃いゴーグルを付ける。輝く世界は、静かな冴えた風景へと一変する。
 「素晴らしい景色だな」
 「最高や」
 
 途中、南西稜を東に下り、東の尾根も越す。
 背の高い立ち木の生い茂った、出雲原に着く。
 上から、いくすじもの光芒が、雪を乗せた木々の枝を透して、地上の雪原にそそがれる。

 Kはゴーグルを外してみた。

 其処はフジ色に輝く世界であった。
 Kはこれほど美しく、神秘的に輝く世界を見たことが無かった。
 「すごい!この世の世界とは想われない」 モノトーンムラサキの、輝く世界である。
 木の間を透す多くの光芒には、幅の変化と共に色にも濃淡があり、例えようも無く美しい。
 降り積もった、たおやかな雪面で、散りばめた最高の宝石が輝く。枝上の雪もまた然り。
 「目を悪くするぜ」 とSが言った。
 晴天、雪山、朝日、強烈な紫外線による紫銀色の世界、油断をすれば雪眼になる。
 「そうやな、しかし、ちょっと見てみ!」 Kに誘われて、Sもゴーグルを額に上げる。Kはゴーグルを下ろす。
 「うん、すごい。こんなのは、見たことが無い。来て良かったな」 そしてSもゴーグルを下ろす。
 動じぬタイプのSにも、強烈な印象である。
 
 「さて、今度はどこを下ろうかな?」
 「やっとこ峠なんかどうかな?」
 「そうしょうか、うまくゆけば、シリセードで下れるな」 シリセードとは、尻皮で滑り降りることであって、グリセードと尻制動を併せた、山岳会関係者の造語である。
 急坂の”やっとこ坂”、大部分は雪に覆われていた。
 「いけるな」 Sが言う。
 「行こう、左の谷に落ち込まんようにせーよ」 Kはやや慎重に答える。
 ピッケルでバランスをとりながら、Sが一気に下り降りた。
 曲がりくねった夏道は、今は関係が無い。ほぼ一直線にかなり下方の平地まで到達する。Sはそこで倒れて腕をふる。指をまるめてgooである。
 慎重なKは、Sの軌跡を滑る。
 「簡単だな、速過ぎる下山や」 
 「雪山は天候しだいや」 下りは平坦地で時間がかかる。
 
 山麓、谷の出合に、小屋がある。”出合小屋”と呼ばれていた。
 昨夏、Kはここで素泊りをしたことがある。
 そのとき、お茶を出してくれた老人が今日もいた。
 玉子うどんを注文する。他に客は無い。老人はお茶を出して、厨房にゆく。
 熱いお茶が緊張感を解してゆく。
 「あれは何だったんやろう」 お茶をゆっくりと飲み干した後、Sが言った。頂上での不思議な現象のことである。
 「雲が風で飛んだだけとちゃうか」 Kはこじつけてみた。
 「光ってたし、人影も見えた。あんな飛びかたをするものはないぜ」
 「それに、朝日の中へ消えた」
 「わしは雪洞で、あの人を見た気がする」 Kは「私はマー」と名のった、白髪・白髭の異相の人を思い浮かべた。
 「あれは悪いやつではないな、そんな気がする」
 「うん、なんか気持ちがいいんや」
 
 注文の品を持って来た老人に、Kがその出来事を話した。老人は言った。
 「不思議な話ですね。これまでも、登山をした方から、そのような話を聞いた事はありません。でも、光る山の話は、昔話として伝わっています」
 「そうですか?」 Kが興味を抱いて促す。
 「となりの芦鹿地区に残る話ですが、話しましょうか?」
 「でひ!」 Sも積極的である。
 「単なる昔話です。子供向けのはなしです」 そんなに期待しなさるなと、老人。
 


(2)


 「ここからは見えませんが、芦鹿からは綺羅山の山頂がきれいに見えます。この話は江戸時代に創られたと言われていますが、もっとずーっと、古くからあった話とも言われています」 そして老人が語った昔話の概要は次の通りである。

 芦鹿からは綺羅山の頂きが美しく眺められる。
 ある時代の秋、ある日ことである。
 日が落ちて、谷あいの集落はもちろんのこと、綺羅山の山頂さえも黒々となる時刻である。
 綺羅山の山頂が光っていることに、村人は気づいた。
 光は輝き、集落の家々の屋根にさえ映えるほどの明るさであった。明るさは夜通し続き、朝になると消えた。
 それが次の日も、またその次の日続いた。
 何が光っているのだろう? 気になっていた村人達は、その原因を確かめるために、ある朝数人のものが、山頂に登ったのである。しかし何一つ変わったものを見出せなかった。 「光っているときに登らなければ、何が光っているのかは解らない」 そこで次の日、三人の若者が日が落ちた後、山頂を目指して登っていった。谷合いがとっぷりと暗くなるころ山頂付近に着いた。
 だが今度は光が眩しすぎて、近づくことすら出来なかった。
 「どうすれば良いのだろう?」 村人達は悩んでいた。

 ツートと呼ばれる10歳位の子供がいた。
 どこからか、この村に紛れ込んできた子供である。
 小さな小屋を与えられて、みんなの世話になりながら暮らしていた。
 彼は村人に黙って、綺羅山頂に向かった。
 夜とも言ってよい程の朝早く、真っ暗な見知らぬ山道を、小さな体で。
 彼は、ある確信を持っていた。そして、自分でそれを確かめたかった。
 彼は歩いた、そして登りきった。本来ならば薄暗いはずの、日の出前の山頂に。
 
 一人の若者がツートにかなり遅れて山頂に向かった。
 彼も、薄暗い時刻ならば光も弱まり、光を放つものを確認出来る、と考えたのである。
 彼はこの山道をよく知っていた。
 彼が山頂間近に登りつめたとき、ツートは光と向き合っていた。
 彼は立ち止まった。
 「ツート!」 若者は叫んだ。予想外のさらなる意外さに驚いたのである。
 ツートは振り向いた。若者を確認した。その後すぐに光の中へ入っていった。
 光は、おりからの日の出の輝きと共に、消えていった。
 
 若者は頂上に着いた。
 東の山並みから、太陽が浮かび出て、眩い光が、彼を照らした。
 麓の湖が、鏡のごとく煌めきはじめた。
 鳥たちの声、小鳥たちのさえずりが、いっそう大きくなっていった。
 汗ばんだ彼の肌に、風が流れた。
 そこには何も変化が無かった。
 ツートは、いなくなった。
 若者は山を下る。
 太陽は高く、さらに高く昇る。
 ツートはいなくなった。

 若者は村でこの出来事を話した。
 村人たちは、”ツートは神隠しにあった”と言った。そしてその子供を哀れんだ。
 しかし、それを見とどけた若者は、そうは思わなかった。光の中に入るツートの表情は、親のふところに向かう子供のようであった。
 そして、綺羅山上の光は消えた。


 「ま、こんなような話ですわ」 と、老人は一息を吐いた。
 「それで終りですか」 と、Sが問う。
 「いやいや、まだまだ後日の話が作られています」
 「子供は、それっきりですか」 と、K。
 「いや、そうじゃないんです」 お茶をすすりながら、無精ひげの老人はゆっくりと話だした。


 10年が経過した。
 一人の青年が村へやって来た。そして「自分はツートだ」と名のった。
 村人は、彼が確かにツートである、と認めた。少年時代の面影を多く残していた。多くの記憶も残していた。
 村は、いろんな問題を抱えていたが、昔彼の住んでいた小さな小屋を今度も与えた。
 ツートは再びその村で暮らしだした。野良仕事などを主に、直面する村の問題に協力した。
 過去は話さなかったが、好青年になっていた。
 彼が戻って来てから、村に在った多くの問題が好転し解決していった。村人たちは彼を認め、信頼し協力していった。
 とりわけ、ツートが光の中に入るのを目撃した男は、より協力的であった。
 彼の名は嘉吉、まだ若いが、村の中心人物の一人になっていた。
 
 ある日の夕刻、嘉吉はツートの小屋を訪れた。
 「ツート、君が戻ってから、この村は、ずいぶん良くなった。君の行動と判断によるところが大きい、感謝してるよ」 続けて、
 「君に、もう少しいい住み家を見つけたい。良い娘も紹介するが、どうだろう家庭を持たないか?」 と言った。
 ツートは、嘉吉の申し出に感謝した。しかし断った。 「自分は近いうちに、この村を出る」 からという理由で、である。
 「なぜ?」 と問いかける嘉吉に、「行かねばならないところがある」 とだけ答えた。
 嘉吉は残念がったが、ツートに何かしら神秘性を感じていた彼は、深くただすことを避けた。
 
 ある夜のことである。
 ツートの寝泊りしている小屋が光った。
 あばらやの隙間を透し、光は村中を照らした。


 「えらく、隙間だらけの小屋ですね」 とS。
 「そういう話なんです」 と老人 「昔話ですからね」 仕様がないでしょうという顔である。


(3)

 以前に、綺羅山頂で光っていた光と同様の光であった。
 明け方、光の消えた後、ツートもいなくなった。
 ある村人が言った。
 「私は明け方に近い時刻、小屋の隙間から中を覗いた。中でツートらしい男が立っていた。光は彼の背後から発していて、その男がツートであると確信することは出来なかった。光を発しているものも、人のかたちをしていた」 と。
 「それは仏様だ!」 と誰かが叫んだ。
 
 ツートは再び去った。
 彼や光を放つものが、仏であるか否かはわからないが、その後も芦鹿の村は平穏に過ぎた。
 とりわけ、小屋から光をあびた家々で、病人たちが次々と回復していった。
 村人は寺を建立し、仏をまつり、ツートも祭った。


 「これで芦鹿地区に残る昔話”光る山の話”はお終いです」 と言い。
 「そろそろ、お客さんがみえるころですから、このへんで」 と席を立った。
 物語は少なからず省略された感があった。
 
 KとS、二人も一応納得して帰路についた。
 以上が昭和XX年二月、雪の多い年の綺羅山行で遭遇した出来事である。
 
 時は経過し、KもSも定年を向かえ、久方ぶりに二人で綺羅登山を試みることとなった。
 中秋10月も終りを告げる、よく晴れた日のことである。
 「よ!元気そうだな」
 「いやいや、元気そうだな!」 
 どちらからともなく挨拶の言葉がでる。
 綺羅山の登山路は開発され、リフトやロープウエイまで設置されていた。山肌をならしてスキー用のゲレンデも造られている。
 リフトで薬師山の中腹まで上り、出雲原までロープウエイで移る。
 出雲原の山荘レストランで昼食をとり、旧交をあたためる。
 「おれは、どーも、今だに気になっている事があるんだ」 Kが言う。
 「光の事、光る山の話のことだろう」 Sが応える。
 「そうなんだ、あれはいったい何だったんだろう」 とK。
 「わからんな」 とS。
 食後のコーヒーを飲み、料金を支払う。
 「この付近の案内図か」 Kが目に留めた。
 レストランの入口、カウンターの横には幾束かのパンフレットが置かれていた。
 Sがその内の一枚を手にした。そして言った。
 「芦鹿寺が載っている。この寺が”光る山の話”の中で最後に語られていた、光る仏とツートを祭った寺ではないのか?」
 「多分、そうだと思う。あとで行ってみよう」 Kも興奮気味に応えた。
 
 二人は頂上に向かった。懐かしい登り道である。
 多くの登山客で賑わっていた。
 秋の山の昼下がり、登山路がしっくりと、足腰に伝わる。山登りの本当の喜びがここにある。
 踏みしめる土や石や岩に、側らの草木にも、今は心で挨拶を送る。
 そして頂上、景観の良い行楽の地であった。
 「すっかり変わってしまったな」 とK。
 「うん、時代の流れやな」 とS。
 「立山頂上なんか、夏場は人の行列でいっぱい、入れ替わり登頂らしいよ。ここはまだ、ましなほうや」 とS。
 「いいのか悪いのか、なんだかさみしいね。田舎の山も、そっとして置く方が良いかもね」 とKも言う。
 「そやそや」 とS。
 節度ある社会が今も欠けている。

 景色を眺めていたSが言った。「あれじゃないか?芦鹿寺は」 下方を指差した。
 北東谷あいに集落がある。
 集落から離れて、谷あいの奥まったところに、さして大きくないがお寺らしい屋根が見える。
 Kは地図をみる。
 「確かに、芦鹿地区や、ほかにお寺らしいものは見当たらんな」 とKも同意する。
 「屋根が光ってるぜ」 太陽はやや西に傾き、綺羅山の影が、そのお寺らしい屋根を、まもなく覆い隠そうとしていた。
 「気のせいか、太陽光線の反射以上に輝いて見えるな」 Sはやや神秘的な面持ちである。
 しかし、綺羅山の影に覆われると、その輝きも消えていった。

 「実は」 と下山の合い間に、Sが話だした。「おれは、少し勉強したんやけど」 
 「何を」 とK。
 「仏教や」 とS。「ふん」 とK。
 「光るものが仏様やとすれば、あれは大日如来やな。密教の本尊や。宇宙そのものを顕現する如来様や」
 「宇宙そのものか」 とK。
 「そや、ま、太陽こそ、この世界を照らす、仏様の中心と考えた、昔の人の思想が入っている。つまり大日如来様や」
 「なるほど」 Kもうなずく。
 「密教と言う意味は、仏教の中の秘密の教え、と言う意味や。紀元前五世紀に始まったシャカの教えは、時を経て、マンネリ化しつつあった。その中で大乗仏教を基盤として、ヒンズー教などの影響を受けながら、次第に成立していった、汎神論的な仏教や」
 「へー、結構難しそうな話やな」 
 「いや、難しく考える必要はないんや。宇宙の全てのものに仏が存在し、中心が大日如来であり、他の仏様たちは、その分身でもある、ということ。大乗仏教とは、形式よりも、内的・精神的なものを重視しつつ、積極的・活動的な人生観と世界観を持つことの教え、らしい」
 「やっぱり難しい」 
 「はっはっは、やっぱりそうか。話は元へ戻るが、光る仏は、大日如来あるいはその化身たる不動明王の可能性もあるな」 Sは光の正体を仏であると決めているようである。
 「ま、そうかも知れんな」 とKは同意しておいた。


(4)



 麓には、今も出合小屋があった。相変わらず、こじんまりとしていたが、ログ風に建て直されていた。
 通り過ぎるとき、Sが言った。
 「あの老人が居るぜ」
 「まさか?」 Kも開け放たれた店の内部覗いた。
 四十年前、”光る山の話”を二人にしてくれた老人とそっくりな男が客らしい若者と向き合っていた。
 Kは言った。「あの老人の息子やろ」
 「せやろな、それにしてもよく似ているな」 そして二人とも通り過ぎた。

  山麓の駐車場、Sの乗用車に乗る。
 パンフレットを開き、芦鹿寺への進路をみる。
 「近い、寺には駐車場もある」 Sは車を走らせる。
 芦鹿に着く。
 綺羅山の頂上が、見事な三角錐形で青空に映えている。
 「いい場所だな」 Kが言う。
 「伝説が生まれれる場所か」 Sも思う。
 山門の下方に駐車場があり、駐車する。石段の前、狭い場所である。

 旧い山門を抜ける。
 右側に<社務所>と書かれた玄関がある。住職の住み屋らしい。
 正面にもう一つ石段があり、その向こうに本堂らしき建物がある。
 村人らしき中年の男が一人、本堂横で作業をしている。
 石段を上がる。
 本堂は閉ざされている。
 男は境内の土庭を、竹箒で掃いている。
 Sが男に声をかけた。「すみません。本堂は開かないんですか?仏様を見ることは出来ませんか?」
 男は二人を見た。一呼吸おいて言った。「ただ今、開けます。ごらんになってください」 男は鍵をとりに社務所へ戻った。
 「当寺の住職です。仏様に興味をお持ちですか?」 扉を開けながら、話す。
 「ええ、ちょっとばかり」 Sが応える。Kも笑ってうなずく。
 「近頃はぶっそうなもんで、こうやって閉めてるんですよ」 扉が開き、内部に入る。蛍光灯がともされるが、暗い。

 正面上段に本尊があり、左右にも何体かの像が置かれている。
 「普段はお灯明をつけるのですが」 と住職が懐中電灯でてらす。
 「本尊は大日如来仏です」 住職の照らす明かりの輪の中で、大日如来が印を結んで座している。
 「予想どうりだ」 とS。
 向かって左に少し離れて坐像が一体。「釈迦如来です」 と住職。仏教の開祖である。紀元前五世紀に現われた人である。
 本尊の向かって左前方の立像は、憤怒の形相をした不動明王である。これは、大日如来の、悪魔に対する怒りの化身仏、である。
 向かって右側には、一段低く、二つの立像が陳列されている。
 住職が照らす。向かって左の像から。
 衣をまとい、頭巾をかぶっている、仏形ではない。頭巾の下に、鼻の高い、異相の顔がうつし出される。
 「マーだ!」 今度は、Kが声をはっした。
 「えっ!、この像に関しては、よくわかっていません。一説によりますと、紀元前三世紀ごろインドで栄えたマウリヤ王朝のアショカ王の命を受けて、仏教を宣教するために、移動してきた人達の系統だと言われています。また、七世紀にインドから中国・朝鮮半島をへて、紫雲に乗って日本にやってきて、主に兵庫県の播磨・丹波で活躍した、法道仙人である、と言う説もあります。我々はカラス天狗と呼んでいます」 住職はさらに続けた。
 「南インド地方には、今も、日本語に酷似した言葉が多くあります。これは古い時代に、南インドから渡来してきた人が持ち込んだ、当時の外来語だったのではないでしょうか?」
 「ずいぶん古い像なんですね?」 Kがたずねた。
 「木像ですから、この像そのものは新しいものです」
 「日本に仏教が伝来したのは、聖徳太子の頃六世紀と言われてますが?」 Sが疑問を呈した。
 「そうです。しかし、それ以前に持ち込まれた可能性を、否定するものもありません。歴史上、文字や言葉や痕跡すらも、残さずに消え去ったものは数多く存在するはずです。想像の世界ではありますが」 住職の言葉には説得力もある。
 五体めの像は役ノ行者(役ノ小角)であった。密教と深く関わった山岳修験道の開祖と言われている。
 ツートの像はない。ここでも彼は消えてしまっている。
 
 暗い、芦鹿(あしか)寺の本堂の内部で、五体の黒い像がたたずむ。
 住職はSと連れ立って、扉の外へ向かう。
 Kに、ふっと何かの気配が伝わる。
 ふり返れば、五体の像が、彼を見つめていた。
 Kの全身に、ぞくっと、霊感(インスピレーション)がはしった。
 思いがけず、Kのテレパシーが叫んだ。
 「あなた方は・・、蝶ケ山で出遭った、アンドロメダやペルセウスやアストレイアの仲間ですか?」
 「そのとうりです」 大日如来がテレパシーで答えた。

                    嘘山行記第六部・「光る山の伝説」 (完)
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